河瀬の法蔵寺は河瀬城跡 ? 奈良橿原今井を思う

先日走行中の藤沢町田線でのこと。

義母が銀行口座を新規に開設するということで奥方と「相模」に同行しました。

あのスルガ銀行から現金を移動するとのことで「一人では少々不安」ということでした。

私も付近の城めぐりでも・・・といったお気軽さで出向きましたが思わず時間を喰ってしまいそちらは今度のお楽しみに。

 

その道路はかなりの交通量がありますが、珍しく信号機のない横断歩道がありました。

すると対向車線側で年配者が横断しそうな雰囲気で立っているではありませんか。

私は相良にてつい最近、檀家さん(女性)より「パトカーの待ち伏せ」により「歩行者保護義務」の違反9000円を上納するハメとなった件を聞かされていたばかりでしたし、義母の前で「イイ子」を装うと思ったか、「こういう場合は停車しなくてはならないね」と「解説付き」で横断者優先のための模範的停車をしました。

 

ところが対向車両の通過車両ときたら一向に停車する気配すら見せません。

私は後方に並び出した車両に冷や冷やしながら「神奈川県とはこんなものか・・・」と憎まれ口を放っていました。

何とか10数台を見送ったあたりに停車していただいてその一時の難題から解放されたのですがきっと「神奈川県のお巡りさんは忙しいから静岡のお巡りさんの如く親身のご指導はないのでしょう・・・」ということで話を収めました。

神奈川県に生まれて育ち殆どの仕事をしていたその地ですがいまや静岡県に住まう私は神奈川の準首都気質というものからくるかひとつひとつの粗雑さが気になるようになりました。

 

かといって沼津のスルガ銀行のえげつなき経営方針を培ってきた県民性も自慢できるとはいえませんが。ただ私は駿河ではなく「遠州人」(何も取り得の無い)であることは吹聴させてください。

 

ちなみに義母は「イオン銀行」を採用しました。

イオン近隣に住まい、何をとっても便利で効率的だということですね。

これから銀行を取り巻く環境は厳しくなるでしょう。

それは私共お寺と同じこと。

 

さて、法蔵寺のたしか5回目。

「有徳なる人」あってのお寺の経営と維持でありますが、拙寺よりも規模が大きい敷地に大きな本堂それでいて檀家数が多くないというお寺でありながら脈々と近江門徒の血脈を維持するという心意気に感動させられるのですが、こちら法蔵寺の敷地は実は河瀬城跡と言われています。

なるほど壇上風境内地境界には堀跡らしい様が見て取れます。

宇曽川右岸の湿地帯で水路が廻らされていたことでしょう。

ただし周囲は全くの平地で現在は住宅地。

城であったという推測はなかなか難しいところがありますが、例によって「100m×100m」の国人領主の館風の敷地も想像できます。

 

ここで当HPの「江州佐々木南北諸士帳 5 犬上郡」を開いていただいて・・・

 

甘呂      住 佐々木随兵豊後行実末 河瀬大和守秀宗

北河瀬     住 佐々木        河瀬壱岐守秀成

南河瀬     住 河瀬末天正元年八月於小谷兄弟共討死

                     大宇大和守秀則

南河瀬     住 河瀬末天正元年八月於小谷兄弟共討死

                     蓮台寺主膳正

南河瀬     住 与力         宇多三右衛門

 

と十二分にこの河瀬という地には河瀬を名のる氏族が居てその館があったことがわかります。

 

拙寺の初めは安土住の今井権七(郎)ではありますがその縁者かも・・・と夢を馳せたのが奈良県橿原市今井町称念寺(または   )を開いた今井権八郎。

私の父親はその件をよく強調していました。

4つ目の画像が今井町の街区。5つ目が称念寺門前。