日野今井町ぶらついて 慈眼院宝篋印塔と出あう

息子は京都でのランチの画像を、また「奥の墓道」氏も横浜からこれ見よがしに「昼食」を送ってきました。

二人ともカレーでした。

私どもは法事とお斉が終了してからしばらくして所用で出向いた静岡の帰り路、丸子のカレー屋に寄って夕食としました。

東西から「カレー」を振られたら、それで返す他はないですからね。

 

まぁこの「ガンガジ」なるカレー屋さんには以前から寄ってみたいと思っていましたので、その振りにはニヤリと笑ってお受けいたしました。

まぁセットメニュー(✖2セットで3090円―サラダ・飲み物・チキンティッカ付)にしたわけではありますが、ナンはデカすぎて1枚をお方様と食し、1枚は持ちかえりました。

専門店のカレーはやはりおいしい。

しかし、やはり平日のランチが一番です。

1人1000円でお釣りが来ますし、「無茶苦茶お腹いっぱい」の苦しさからは免れます。

 

さて、昨日は日野から鈴鹿スカイラインで四日市に一直線、そのまま新名神に入って相良まで戻ったことを記しましたが、その日は日野の町をあっちこっちと半日程度時間をかけました。

 

先般日野商人について記された古文書を見た叔父さんが是非にその日野商人発祥の地を見たいと夫婦で訪れていました。

そこでの日野祭に「今井」という町から出ている「曳山がある」と情報を得たからです。

日野の今井町とは私は初見、これは面白いと日野商人のお勉強を兼ねて寄り道をしたというわけです。

 

まぁ祭りでもないので何を目標に行っていいのか漠然と歩いただけで(祭りだったらなおさら寄り付きませんが)、「今井」を名のる家が日野に数件あったということがわかったという程度でした。

そして収穫としては今井町を外れた辺りに慈眼院というお寺が目に入りましたので何となく立ち寄ったことです。

すると「きっとうまいこと引き寄せてくれたのだな」と感謝したくなるほどなかなかの様態を残す宝篋印塔が出迎えてくれたのでした(場所はこちら)。

 

遠州あたりでみるガッカリするような「パーツ取り」を思わせたり残欠石塔の類ではなくカタチはまずまずのもの。

しかし敢えて欠点を記せば①九輪が折れている②地面に直接置かれて基礎部分が欠落しているような感じがする③宝篋印塔は大日如来を中心とした密教ベースの石塔を主張することがありますが、その塔身に四仏(こちらは「金剛界」の四仏)の梵字が彫られていることがあります。

その四仏の方角が違うこと(本来あった位置・場所ではないことを示唆)。

 

いずれもこちらの石塔の本来の美的形状を大きく損なうものではありませんが・・・。

ちなみに金剛界四仏とは東-阿閦 (あしゅく)、南-宝生、西-阿弥陀、北-不空成就の四仏です。

 

こういう石塔との遭遇があることが墓場放浪の醍醐味です。

案内板には暦応二年(1399)と。

下図①②③が静岡丸子の「ガンガジ」。④が京都今出川通「ビカシューマハル」。彼の住まいに一番近いカレー屋でナンのほんのりした甘さが好みだそう。

⑤は「奥の墓道」氏のその日の昼食。2味(野菜とマトン)楽しめるタイブだそう。