強請(ゆすり)騙(かた)り 連福寺閻魔堂と十王

報恩講も終了して当流ならではの「お取越し」という各家庭御内佛で行うミニ法要もあと数件を残すのみ。

既に師走の声が聞こえていますね。

 

昨日は池新田のカワラサキ家での「お取越し」でしたが、盛り上がったのはオレオレ詐欺の電話の件。各経験談を披露されていました。まぁ笑い話になっていましたのでみなさん無事に撃退できたということでしょう。

 

要は相手の言う「身内の窮状」についてまずは「疑ってかかる」というのが大事ですね。常に半信半疑・・・

この地にたくさんある「カワラサキ」家ですがその家で数年前に起こった件はまず「オレだけど携帯を落としちゃったので警察か何処からか電話がかかってくるかも知れない」と電話があったとのこと。

奥様が言うには電話の後ろでは他に電話を掛けているのかざわついた様子だったそう。

 

パターンからすると色々なストーリー(警察や銀行、友達などの登場人物・・・)があって一概ではないのですが次の日にまた同じ人から連絡があって(おそらく人選の都合がつかなかったのでしょう)「実をいうと」とイキナリ「会社の金を使い込んだので工面できないか」とストレートな物言いに。

不審に思ったその方は「ウチはカワラサキだがあんたの名は?」と聞けば「(何言ってんだよ・・・)カワラサキに決まってるでしょ」との返事。

 

その家で「オレ」などという息子さんは養子に出して名が変わっていることから謎かけしたそうですがその事を告げると諦めてガチャ切りしたとのこと。

もう1件の撃退例をあげれば近くに誰かいなくても「ちょっと息子に代わるから・・・」といったら即電話を切ったといいます。

 

世の中は「信じられない」と言い切れば不幸なことですがこの手の騙しの語り、ストーリー、演出等手の込んだ詐欺は今溢れかえっています。

大手の不動産デベロッパー(その筋のプロ)でさえもそういった地面師と言われる輩のトリック(売主成りすましの配役と書面偽造)に引っかかってカモられるくらいですからね。

 

「騙り」とは「語り」と同様「カタリ」ですが、騙りのかたりとは「人をだまして金品を巻き上げること。そうする人。詐欺」

「騙」は他に「あざむく」「だます」の意があって同じ「語る」ではあっても「悪辣な意図」があるワケです。

 

以前、「強請(ゆすり)と集(たか)り」と記しました。

その際は「よってたかって」国民の税金を食い物にすることから「政治屋の皆さん」をその「集り」の代表格として記しましたが、実は「ゆすり」と言ったらその次にくる言葉は「騙り・語り」が昔から言われてきた語と思われます。

「ゆすりたかり」も間違いとは言い切れませんが本来は「ゆすりかたり」でしょうね。

どちらもとりあえず「ロクな輩ではない」人の行為であるという点は同じですが。

 

しかしその強請(ゆすり)に関しては同意にしろ「たかる」と「かたる」は似て非なるもの。よって「オレオレ」の場合はどちらかといえば「かたり」というのが理に適います。

 

「かたり」とは要は「嘘にまみれたお話」のこと。

これを私は「閻魔さんがいなくなったから論」を展開して今、各所の座で披露申し上げていますが、これは親から子供達への伽話として「(嘘をついたら)指切り拳万針千本」「舌を抜かれる」(ペナルティ)や「嘘つきは泥棒の始まり」と言った戒めの語が現代において消滅したからに相違ないというもの。

 

「嘘」の審判といったら十王信仰中の超主役ともいっていい閻魔大王です(もっともそれ以外パッと出てきませんが・・・)。

「浄玻璃の鏡」でもってその嘘を否定する人の生前の嘘八百をグーの音も出ないほどに白日の下に晒します。

これは最近サッカーや野球に取り入れられた「ビデオ判定」の原形、古式ゆかしい判定グッズですね。

 

子供の頃、その「閻魔大王」への畏怖は絶大なものがありました。その畏怖こそが子供時代の道徳感(善因善果・悪因悪果)を養ってきたといっても過言ではなかったかと思っています。

 

尚、当流では中国にて道教と結びついたであろう「偽経」ということで同じく偽経の範疇である「盂蘭盆経」以上にほとんどその存在(閻魔さん)について触れることはありませんが。

それはベースとなる経典が「浄土三部経」以外了見しないというスタンスだからです。

 

しかし今後「熊野観心十界曼荼羅」世界に少しばかり傾倒している私にとって、またどちらの家庭でも子供達へのコミュニケーションと道徳観醸成のために推奨すべきとその閻魔さんが主催している地獄を大いに宣伝していきたいと思っています。

 

さて、「ゆすりかたり」に戻ります。

その語については実際の歌舞伎や落語の台詞では私の知っている限り「ゆすり」に続く言葉は「かたり」であって「たかり」の方は聞いた事がありません。

たとえば「ゆすりかたり」といえば原題「青砥稿花紅彩絵」(あおとぞうし はなのにしきえ― 河竹黙阿弥)、「白浪五人男」の呉服屋浜松屋での弁天小僧菊之助と南郷力丸コンビの段が思い出されるところ。

弁天小僧の有名な台詞「しらざぁ云って・・・」の中にも「こゆすりかたり」とありますが、他にも幾度となく出て来るその語は「かたり」であって「たかり」ではありません。

それらを解説するサイトも多々お見受けいたしますが、結構「たかり」と記されているものも散見します。

どうでもイイような違うような・・・しかし私は「かたり」でなくてはしっくりきません。

 

ということでこれら「白浪もの」かたりもの演劇の製作年代は幕末の事ですから、今のオレオレ詐欺などは、結構昔からあったことで今のオレオレ繁盛は「世の中が悪くなったから」の現象とは一概には言えないかも知れません。

 

もっとも同じく「日本駄右衛門」(→日本左衛門またはこちら こちらも)の口上などでは「盗みはするが非道はせず、人に情けを~」であって庶民や老人など弱い者相手ではないことは確かです。

義理と人情の有無、それが現代犯罪者との違いでしょう。

 

「かたり」は「かたり」でも子供達に少なくとも「嘘」の害について語っていきましょう。若いお父さんお母さんたちにも。

 

①②泉蔵寺十王堂。③~連福寺 閻魔堂と閻魔大王座像。

この像はいかにも保存状態が良くて「鎌倉から室町初期」に作られたという件、少々驚き。民間信仰といえどもこの大きさで鎌倉期の製作年が推定されれば市町村レベルの文化財であるというのも首を傾げるところです。