「盗みはすれど非道はせず」  日本左衛門

石川五右衛門や鼠小僧と並ぶ我が国屈指の大盗賊で歌舞伎「白浪五人男」(「青砥稿花紅彩画」あおとぞうし はなの にしきえ)に登場する義賊「日本駄右衛門」は「日本左衛門」をモデルにしています。この劇中五人チームは最近のお子様向け戦隊ヒーローの祖と言われていますね。

 

 日本左衛門は尾張出身、本名「浜島庄兵衛」といいます。

遠江、幼少時金谷へ渡った後、遠州の豊田を中心に対大金持ち大店・豪農のみの「夜働き」をして廻りました。史実はどうかわかりませんが世間には「難儀な者に施した」という義賊の風説もあり、当時では英雄的人気を博したとも。

 

 東海道金谷の石畳上り口(諏訪原城下国道沿い)には現在洒落たレストランが出来ていますがそちらからスグ上がった右手に庚申塔(場所はここ)があります。画像①②。 

この庚申塔脇で日本左衛門が「夜働き」用の着替え等の準備をしたという伝承があります。

 

看板には「庚申塔三猿」

「良き事は大いに広め 悪しきをば 見ざる 聞かざる

言わざる が良し 」

 

日本左衛門は捕縛後斬首され、その首は遠州見付(磐田)にて獄門台に載りましたが愛人に盗み出されて金谷の宅円庵に弔われたといわれています。

③の画像が日本左衛門首塚です。

 

「月の出るあたりは弥陀の浄土かな」

 

この句を見てますます日本左衛門に親しみを感じてしまいました。勿論墓は西を向いて建っています。

④はその首塚を横から見たところ。

場所は新金谷駅改札の反対側です。

 

それでは日本駄右衛門のお馴染み口上をどうぞ

 

「問われて名乗るも おこがましいが
産まれは遠州 浜松在 十四の年から 親に放れ
身の生業も  白浪の 沖を越えたる 夜働き
盗みはすれど 非道はせず
人に情けを 掛川から 金谷をかけて 宿々(しゅくじゅく)
義賊と噂 高札に 廻る配符の たらい越し
危ねぇその身の 境界(きょうがい)
最早(もはや)四十に 人間の 定めは僅か 五十年
六十余州に 隠れのねぇ 賊徒の首領 日本駄右衛門」