「美濃屋吉兵衛商店やってるよ・・・」メール来る

早朝よりの外出中、横浜の「奥の墓道」氏よりメールが入りました。標記の文言です。

その店はイカの塩辛から始まったかまぼこ屋の老舗で小田原では結構名の有る店ですが、テレ朝のモーニングショーで「放映中」との情報でした。

 

外にいたため番組を見る事はできませんので申し訳なくも彼には「ほう・・・」と返信したのみでした。

ということであとから番組の内容をチラッと聞けば、450年の歴史と浅井家一統の件に触れていたようです。

 

実はお店の先代が亡くなったという報はこちらにも入っていました。私の祖母が出た家ではありますが、祖母「すず」が入った高浦家(勿論母の実家です)の当主が葬儀への挨拶に出向けばそれで充分だということ、当方の所用が重なったために私はそのお付き合いはできずにいました。

 

そしてその後、会社は(前社長の拡大戦略が裏目に出て)民事再生の手続きに入ったり、それを取り下げて社長が交代したりのドタバタの件があって「何ともはや・・・」という感があって年末に注文するかまぼこ等の御願はしていましたが、「経営者が変わっているのならその付き合いもこだわる必要がない」と思い始めていました。

ところが新社長は社長の奥さんが就任していたということを番組で紹介されていたことを聞いて「これはよかった」と思ったところでした。

債権者や銀行とうまい具合に話がついたということでしょう。

 

久し振りにHPを開いて、以前よりも「浅井の系列」を強く主張していた感がありますが(番組中でも・・・これは番組の趣旨のようです)、これもNHK大河ドラマの江と小谷城の歴史に少々便乗しようというところでしょうね。

どうせやるならその線からももっと売り込めば・・・と思いますが・・・余計なお世話でした。

 

さて、会社のHPを拝見して、浅井家が滅亡、一族離散して一旦「美濃に入った」ということが記されています。

これは浅井三代の初代浅井亮政が北近江統一の端緒を築きつつあるときに(京極家に下剋上し・・・)南近江の六角定頼の侵攻に際し美濃に逃れているといいますので、そういったことを考えると美濃とのパイプは確かにあったことが推測できます。

 

そもそも浅井一流といわれる浅井吉兵衛某と浅井本流との関係は浅井亮政あたりからの分流が一番に考えられますが(あくまでも想像です)その美濃行きとは別に小谷山山系というか殆どお隣の山に美濃山という山とその名が付いた字があります(場所はここ)。

その美濃山町と小谷の間を北国脇往還の宿場「郡上」という呼び名もあったりしますね。

あたかも美濃国を思わせるような名が続いて付近にあるということも一応は雑学として触れさせていただければと思います。

 

ただし「郡上」とは「郡」(ぐん こおり)の「上」「中」「下」という意味あいがあって特定の地名として広く知られる類ではなかったのかと思います。

岐阜の「郡上八幡」も「郡上郡」の「八幡町」の意で元はその「郡上」は「郡の上の」という位置関係から生まれた語でした。

まぁこじ付けはいい加減にして、吉兵衛家御当主が「美濃出自」を主張されているのですから、私がとやかくいうことはできません。

 

④⑤⑥は国道365号線からの図。⑤の左側が小谷山、右が虎御前山(またはこちら)です。

⑥も虎御前山。国道の「美濃山」交差点あたりからの図ですが遠くに見える信号が「郡上」。①と最後の2枚が小谷城。

 

②の「郡上」掲示板のバックの件、あの真っ赤に変色した「マツクイムシにやられた」を想う松は如何にも無残ですね。松は紅葉しませんから・・・

近江の街道筋、高速道路脇を見ていて、結構にあの「やられた松」の姿が見られます。まぁ相良にだって見受けられますが・・・

 

早いところ伐採して焼却処分することが、次の被害の発生が防げますし何より「みっともない」(見とうもない)。

相変わらず店頭に「枯れた芝」を山積みにして平気な顔で売っているお店を見かけますが、やはりその方面についてのお考えは拙いというか疎いのでしょうかね。

「私」なら「しょうもない」ですみましょうが「公」であればもっと「みっともない」話です。