姉川合戦図屏風のスペクタクル 高天神衆

忘れた頃に公開される福井県立歴史博物館(福井市立博物館と間違えませんように)の出し物、姉川合戦図屏風。

数年前に実物を目にした時はそれは感動はありましたが、六曲一隻、93㎝×280㎝は意外にコンパクトで。少し拍子抜けしたものです。

 

 しかし内容は「参加者」の躍動感と生々しい殺戮の様子が彩色で描かれてインパクトあるものでした。

なにより名だたる参戦武将の名が親切にも記されているということは感動ものです

 

 左側の家康の本陣には床几の上にどっしりと構える家康の姿があって本戦の姉川渡河作戦の乱戦はずっと右の方。描かれている武将も殆どが徳川方の武将です。

徳川方の勝利を描いた、徳川色の強い屏風であることがわかりますね。浅井軍と織田軍の現場ではありません。

歴史上「野村合戦」と呼ばれたこの戦いのいわば「助っ人」どうしの戦いの場面です。

 

 日本で1本、この美術館でしか拝むことができない、私の大好きな屏風ですが、緻密で詳細を調べ上げて描いていることは確かですが、ちょいと「いい加減な構図」とも思える部分もあります。天保八年(1837)に作られた屏風ですので姉川の戦からは250年以上も経ったものですからね。

 

 私のお頭で「ふ~ん」と思ったのは昨日記した「九字の名号」の記されているスグ近くに数少ない朝倉方の「平泉寺僧兵・宗徒」の紹介があります。あたかも平泉寺僧兵の旗差と誤解されかねませんね。平泉寺は天台宗で、比叡山同様に僧兵を抱えてしました。目前の信長という共通の敵に対して、共闘したことは確かですが、一向宗とはそもそも同等のものではありません。よくドラマでも混同しているようですが、本願寺勢力が比叡山の山法師然の弁慶スタイルで大薙刀を振るうのは「ちょっと違う」と思ってしまいます。

 

画像は私なりの姉川の勇者たち。何回かブログで記していますが賤ヶ岳よりも早い段階で「七本槍」と称された、高天神衆がすべて記されている姉川合戦図屏風の一コマです。

賤ヶ岳は秀吉の勝ち戦ですべて秀吉恩顧ですから、江戸時代に賞賛される筈はありませんが、高天神ファンの私も同様です。

 

画像にそれぞれの人物の左下に番号を振りました。人物については高天神城武将案内をどうぞ。

 

 

1 林平六「林」 2 門奈左近右衛門「地水火風空」(五輪塔) 3 吉原又兵衛「三界万霊の赤提灯」

4 中山是非之助「白地に黒」  5 伏木久内「白馬に骸骨」

6 伊達与兵衛「地蔵大菩薩」  7 渡辺金大夫「朱の唐傘 金の短冊」

 

そして姉川の描かれている右側部分の全体図、「A」の人が小笠原与八郎長忠(こちらも)です。⑤⑥も同。

 

 このようにあらためて屏風を俯瞰すると遠州高天神衆の活躍をより際立たせて描かれているような気がしてなりません。

 

 大活躍の高天神衆を率いたボス、小笠原与八郎の今にも太刀を振り下ろさんとする図は彼が後日家康の袂を分かち、武田勝頼について反旗を翻した人物とは思えないほどの素晴らしい働き振り。筆者は意識的に描いている様な気がしてなりません。

まさにこの屏風のヒーローです。

 

 落馬して与八郎に討ち取られる寸前の人は、越前丸岡城の近くにある舟寄館の城主、黒坂備中守景久です。

朝倉家重臣の黒坂はその命により対一向宗のためにこの城館を築いたといいます。

急拵えの態勢で臨んだ朝倉軍という状況も垣間見れます。