高ころびに あおのけに ころばれ候ずる  安国寺恵瓊

大切な晴れ間の広がった一日

夏の気分ではありませんでしたが。

しばらく放ったらかしだった大工仕事を。

そして掲示板の文言も少しばかり更新。

また何しろ境内植栽の様が見苦しい。よって頭が痛い。

まぁ毎年のことではありますが、ただ年々「できないものはできない」の開き直りが多くなっていることは確か。

 

作業中、奥方が飛んできて「(お参りの御門徒さんが)シリコン持参で墓石の隙間を埋めようとしている・・・」と私に言いつけにきました。よって慌ててその作業を制止した次第。

墓石の隙間は経年で開いてしまうのは致し方ないことです。

ちょっとした地震があればそれは進みますからね。

 

そこへシリコンを充填すると、ガッチリ封鎖固定されることは間違いありませんが、次回開けるとなると相当難儀させられるわけです。またシリコンもまた紫外線などで劣化しますのでそれを一旦除去することはカッターで地道に削り落とすなど余計な時間がかかってしまいます。

ということでその業界での正攻法と作業手順を説明させていただいたわけです。

その充填剤がモルタルです。

こねたモルタルとこてを提供し、最後は「硬く絞った濡れ雑巾で余計なモルタルを拭ってお終い」ということを。

それでも拙寺境内にはシリコンべたべたにした墓石を各お見受けしますが。

 

扨、「高」の字二題。

「高が知れてる、高をくくって」の「高」でもあり、いわゆるお調子にのっているような状況や人物についてイメージします。前回のファミリードラマは半兵衛にウェイトを置いたものでしたが安国寺恵瓊が例の記述にのっとった発言をしていましたね。

それが恵瓊の吉川家文書です。そちらのブログ画像では一番最後の図になります。

「高ころびに あおのけに ころばれ候ずる  と見え申候」

 

 

ここでは信長のことを言っていますが要は「お調子にのっていると」(近いうちに)「酷い有様で転げ落ちる」ということ。

私がそれを思ったのは日経平均7万円の浮れ具合と、かなりの大ウソつき振りを世に曝した「高」(ソーリ殿)。

お調子にのって修正ができないと足元をすくわれるというのは鉄則です。

まず佛がそれを放置しませんね。

 

恵瓊のその示唆は先見の明ではなく、ごく普通の坊さんの思考を 

思いますね。

 

画像はかつて息子の運転で走った山陽道。もはや彼とそういった遠乗りの機会はないでしょうね。

彼には彼の家族がありますので。

あの時は初めての備前にわくわくしたわけですが、自分自身の運転でなかったせいか、殆どの事が記憶から離れてしまっています。齢を重ねたこともあるでしょうね。

 

そして昨日のみき歴史資料館から。

発掘品の中に白化した鉛の玉がありますが、城内から出土していますので、外部から、つまり秀吉側から撃ち込まれたもの。

450年以上の歳月を経ているわけですが鉛の玉は比較的よく残ります。これからも出土するでしょう。おそらく飢えの上に夥しい銃撃の弾丸が降り注いだことでしょう。

この別所長治は毛利(安国寺恵瓊)と織田(秀吉・半兵衛)の間に翻弄された悲劇の領主、生存繁栄とは別のスイッチを押してしまったのでした。

もっとも信長だけでなく秀吉も安国寺恵瓊も滅亡の道は免れませんでしたね。

私はまたあの書面にあるよう、秀吉の覇権についてはその能力の発揮は一瞬であってむしろ老体痴呆の見苦しさの方が心に残ります。その彼の後半人生の栄華の「高ころび」を見て、それが人にはつきものであることを知っておくべきですね。