平日の法縁開催は珍しくなくなりました。
休日が土日祭日限定などの職業は学校関係、公務員が主ですが、休もうと思えば今やどちらでも・・・とかなりツブシが効くようになりました。また、最近は参列者を絞っての少数参拝の傾向がありますのでどうにでもなってしまうものです。
昨日の施主の娘さん夫婦との会話。
家庭内のいろいろ、面倒くさい親と子の関係について話していると「子供はいないし、いらない」と。今は夫婦とネコ三匹で暮らしているそう。
「子供はいらない」論、結構に耳にするようになった昨今、将来の日本は・・・などなど、私の心配することではあるまい。
そこでご主人が、法名に「猫」の字を入れたいとの打診。
そういう気持ちは大いにわかりますが、さすがに「それヤメましょう」と回答してしまいました。
基本はお好きな字を採用されて結構なのですが・・・
「ヤメましょう」の否定は私の場合あまりないことですから皆さんと別れたあと少々心残りが。
もし(どうでも)「いいよ~」としたら・・・他人様の眼もあることですし・・・悩みます。
また遺影について先日は故人が好きだった渓流釣りの釣果を両手で顔の前に掲げる様だったことを告げると「私はネコとヤマメのショット」を希望と。.
ただし最近は渓流釣りは行かなくなったそうです。
勿論それはクマ出没の恐怖から。
釣はじっと静かに待つことが肝要ですからね。
クマと人はお互いに気が付かないまま異常接近、挙句事故に繋がってしまいます。
どうにでもなるということは私どもの雑多な心配事も同じ。
とかく人というものは「御前が考えても仕方ない」ことばかりを沈思し時に病的な状況に陥ったりしますがすべてそれはまず「時間が解決」してくれるものです。
たとえいつものピタゴラスイッチの如く恰も誰かに計られているかのように導かれ、信じられないような結末に落ち込んだとしてもそれはそれで「まかせる」ほかは無いのですからね。
私の今のところのその心配事とは拙寺バス遠足がうまいこといって無事に帰ってくることができるかということですが、昨日「ホントかよ」と思った情報が①台風の発生そして②三千院のクマ出没情報です。
①の情報は100%確実で、問題は進路とスピードになりますが、今のところギリセーフの予想。天気予報も現状晴れになっています。何せ2日間雨に降られては困るのです。
まぁその台風という自然そのもの(ただの空気です)、進路コースにしろスピード、勢力にしろ私がどうこう言ったところでどうなることでもなし。
そしてクマ情報。
それは参加される世話人さんからの情報でした。
ソースがハッキリしないこともありますが、現在のAIレベルの各地クマ情報は相当にリスクを煽り気味の傾向を感じます。
日々報じられている静岡県内報道機関のニュースでの見聞はそれなりの信用度がありますが、その手のネットの断片情報切り取りのニュース?を信じて多様に分散することなどは控えたいところです。
その「三千院」の語彙についてどのような括りであるかはわかりませんが、比叡山麓、クマなどどこから出たとしても不思議が無い場所ではあるものの例によって「三千院界隈、人の往来のある場所にクマは出ない」の持論を。
音無しの滝方面や寂光院に向かう道にはクマの登場は無きにしもあらず、ですがね。
実際にあの京都でも人気の観光地でクマによる被害が観光客に及んだとなれば地元の観光集客のあり方として大きな失態でしょう。よってそのような情報があるとすればその対策は進んでいるはず。
しかしながら、私が引率する遠足で「何かあった」というのは避けたいところではありますが。
危惧される点といえば全体自由行動で解散、分散されることでしょうか。
上記の如くある情報を得て何らかの指針を・・・という場合など携帯端末からいつでも検索ができるわけですが、その機械のソフトへの投げ掛けそして回答は一律、模範的で親身。
中には意図的、フェイクベースでの判定も混在しますので、その機械的判定を元に「私」が全面的に信じて動されることなどの「軽率」も避けるべきと思います。
AIに指示されての行動は自身どうも納得がいきませんし、それを信じ切っての行動は他者から揶揄されかねませんからね。
今俄かに話題となった「いきすぎた」18歳ではあるまいし。
私は、その検索で出てきた情報の扱いはテキトーです。
取捨選択が肝要ですが、まぁ基本は流し見レベル。
特に今、クマ情報はかなり誇大ですよ。
たとえば「牧之原市クマ出没」で検索してみればこれまで聞いたことないような情報が並びます。牧之原以外どちらでも。
よって真っ当にそれを信じることなどできないのです。
しかし「クマなんか出ない、信じない・・・」などと日頃から吹聴している私がクマに襲われる・・・などの「スイッチ」、面白いかもしれません。
扨、昨日のマキノ町東漸寺。
梵鐘はおそらく拙寺と同様あの悪法、金属回収令によって徴収されたのでしょう。昭和二十年代の鋳造になっていました。
また六字の名号はオーソドックスですが、あの諸行無常偈の4文字×4文字は当流にしては珍しい。
そこに当時の住職の想いが伝わってきました。
それが
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽
また娘道成寺の一節も思い出します。「鐘に恨み」。
カネに恨みを持つ方が多いでしょうが。
「鐘に恨みは数々ござる
初夜の鐘を撞く時は
諸行無常と響くなり
後夜の鐘を撞く時は
是生滅法と響くなり
晨朝の響きは
生滅滅已
入相は
寂滅為楽と響くなり」
また古仏たちのお迎えも。最後の画像、自然石上部を穿った水盤は面白い。







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