原の林の屋敷 三舟扁額揃い踏み 体調不良強行

起床した際の心地悪さよ。

久々「そろそろ死ぬか」を思わすような不快絶不調。

その手の不調はまぁ、ちょくちょくあることなので黙殺するに限ります。

以前からこの日は約束がありました。

朝9時に「運転手兼でタノム」と八幡神社神主の中村氏に誘われ行僧原の先にある屋敷に同行です。

 

氏は宮司以上に刀剣の砥師として最近まで活躍していましたが持病の状況が良くなく現役は引退しています。

それでも古い家と土蔵に「目が無い」方で、今は古民家の再生、特に解体と再生のセッティング仲介に力を入れているよう。

なかなか解体屋+大工対施主の金額の折り合いがうまくいかずに失敗することがあるとのことでした。

 

要は解体更地にしたいという施主の腹積もりと解体したあとの材をリサイクル、再建したときの価格が折り合うかどうがですが、解体する方からして、実際に解体して見なくては材の状態が判明できず、下手をすればペイしないということのおそれから。金額の折衝から双方意見が折り合わないことが多いようです。

 

舌状台地先端のこんもりとした木々の中にある屋敷に案内されましたが、①の様からこちらが古い時代の簡易郵便局であったことが想像できます。ということはこのお宅が地区の名士だったことか・・・。

③④の臼と杵たち色々にその家族たちと数多雇っていたであろう使用人の賑やかさを思います。

ご主人は現状独り住まいでおそらくその件は終活の一端。

この家屋を取り壊して更地にする意向のようです。

 

この家屋は安政大地震により倒壊した家の跡地に1860年頃、再建された茅葺屋根の家屋だったそうで現在はこのようなカタチに。田舎ではよくありがちな修復方法です。

驚かされたのは家屋の裏に蔵が5つ建っていたそう。

今は朽ちた蔵が木々の中に佇むのみ。

 

扨、私としては家屋内の状況よりもまずは家屋内の扁額に目が留まってしまいました。

眺めればなんと三舟が揃っていました。

名家たる由縁なのでしょうが、なんとこの原の上まで・・・

 

この、鉄舟と泥舟はともかく御三人が揃うことはなかなか想像できませんので後から海舟をなんとか追補したような感じがしないでもなし・・・

ちなみに拙寺には海舟の書はありません。

 

中村氏は施主からの「見てね」との案内から「膨大な史料」を開けだしました。

複数重ねて丸めてある「まくり」と虫食い崩壊寸前の掛軸たちです。

主人は「ゴミばかりで・・・」と謙遜されていましたが、私からすればお宝の山。

 

開封する手を止めることなく「買い取り業者は絶対に呼ばないで~」と中村氏。

あの商いをする人たちは「見栄えのするもの」「珍しきもの」「価値あるもの」は「まったく見当たりませんでした」というのが常套句。

そしてボロクソに貶して決して褒めることはありません。

最後に「これらまとめて〇万円で如何」 (致し方ない買ってあげる・・・)の雰囲気にされて、ついつい施主は「これで片付くからしょうがない」とばかりに了解してしまうのでした。

 

私は今一人同行した弓と矢についての専門とする方が、主人76歳が「生まれてから一度も紐解いた事が無い」という弓の収まる袋を下に降ろし(通常弓は天井からの吊り具に)バラバラになったいろいろをまき散らしたため、私の不調はピークに。

拙寺土蔵内を整理した際夫婦で肺炎にかかりましたからね。

粉塵とカビ系の埃はムリ!!

よって楽しくともとにかく「帰宅したい」の気持ちが・・・

中村氏は淡々と軸とまくりの検証でしたが。

 

昼過ぎになって中村氏から「昼食を」とお誘いを受けましたが辞退した次第です。

 

⑥山岡鉄舟⑦高橋泥舟⑧勝海舟。

 

尚まくりや軸の中に伊佐新次郎(またはこちら)の書、鉄舟泥舟の書、井上円了の複数のまくりが。他にも信じられないような品物が・・・

 

※ 表装されていないそのままの状態の書画。

  掛軸や額、屏風などから剥がされた状態の書画。

  仕立てる前の絵や書の作品自体。