昨日は午前午後2回の法縁が。
来年の日曜日の午後といえば本堂は空けておくというのがその流れ。それは・・・
①そもそも体力的にダブルヘッダーはきつく感じるお年頃。
尚それは息子に「情けなや・・・」と溜息をつかれるところですね。彼はトリプルも平チャラでやっていたそうですから。
②そうなってもらわなくては困りますが2025.1.5より始まる大河ドラマがブレークして相良が人気化繫盛、そのおこぼれを頂戴するが如く、拙寺境内が賑やかになるやも知れない・・・
来訪の皆さんが大いに喜んでお帰りいただくためには、やはり私自身が気張って一番のウリの拙寺本堂と阿弥陀さんを紹介したいという願望があります。
先の事などどう転ぶかはわかりませんが、そんな機会は二度とないでしょうからね。
それを「千載一遇」と呼ぶのでしょう。
真宗では「盲亀浮木」・・・
扨、私が文殊山善永寺に「訪れるべし」と思ったのは大桑城近く斧田公民館前の正年神社の碑文の文言を見てのこと。
そちらの表題でも記した通り「他人とは思えぬ親しみ」を感じたわけです。
そちらのブログでは本願寺顕如と土岐氏の繋がり「明智光秀本能寺」の私の独断を少しづつでも説得力を固めるべく首を突っ込んでいくという意図があったわけで・・・
何しろ善永寺境内を散策して驚かされたのはそちらの鐘楼の鐘の名称が「麒麟鐘」だということ。
それには2020年に放映された大河ドラマ「麒麟がくる」を思い起こさないワケがありません。
まさかその原作者がこちらのそれを見て「パクった?」などとも考えてしまいました。
しかし顕如さんに貰った鐘とは・・・
悪法の金属回収令はうまいこと免れることができたということでしょうね。
平和な国にやってくるという麒麟。
信長を滅亡に追いやったこと、結果的にその平和な時代が到来したということは事実です。
幾度も記しますがあの勝った負けたの乱世の時代を乗り越え生き残ったのは本願寺の流れのみであり、その宗旨を伝える血脈もしかりですからね。
感動的だったのは真宗寺院としては当然ですがお寺の開基と現在まで数百年の間の名のり(苗字)が変わっていないということ。
本山門主がずっと「大谷」を名のるのと同様ですね。
最後の画像は善永寺庫裏の玄関表札の図(失礼!!) 。
是非にいろいろお話を聞きたいと思い呼び鈴を押しましたがあの際はあいにく住職はご不在だった様。
またあらためて文殊山の散策を兼ねて伺う予定です。
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