聚楽第 中立売通の2標識追記 肥前唐津藩邸跡

思わぬ良きお日和が訪れ気分よく境内に飛び出しました。

朝方は怪しかったですが・・・。

ニュースでは関東地方の降雪状況を伝えていましたので当地の上々天気は誇らしい。

ただし午後15時以降風が吹きまくって気温低下。

 

私は南方系の植栽たちのケアと境内植木の剪定を少々。

外にいて何かしら動いていればホットになれるくらい。

お参りの方とも手を止めて立ち話になります。

そこで最近のありがちな事案について投げかけられました。

お寺とのお付き合いが希薄となって、「その時」をどうしていいかわからないといった友人がいるとのことでした。

 

要は「おカネがない」というのがその方のいつもの主張だそうで、また現在、親族の遺骨を抱えたままになっているとのこと。

私は「おカネがない」はどなたも抱える悩みですがそれを理由にお寺として拒絶はできない旨伝えました。それはどちらのお寺でも同じ・・・と。

「お寺の総代等と膝を交えて実情を話し将来のことまで模索するというのがスジ」ということを告げました。

 

将来の事とは「自分のその時」のことを含めて、ということですが立ち話の中、健康な時はどうしてもそこのところは気にも留めず「その時はその時」風の口上で大丈夫の躰を晒して生きているもので、日頃から子を交えて家族一同その件共有すべきであると。何故にその件(自分が死ぬこと)思考停止になっているのか・・・

私が「やはり家族は大切」と言ったのはその問題を提示された方にはしっかり子供がいらっしゃったとのことで。

 

私の場合はそのような面倒くさそうな件の判断は総代さんたちに投げてしまいますが、まずその場では「子供らは何やってんだ・・・」となることは間違いなし。

実際、その子供達がその件を放棄しているようですが、遺骨になる前にどうして皆で思案できなかったか・・・その手の話をよく耳にするようになりましたね。

 

子供達に仏に手を合わせて頭を下げるその背中を見せて来なかったということでしょうか。

何でも自由に好きな事をやらせるということも悪くはないのですが。

 

昨晩はNHKのアナザーストーリー「ボブ・ディラン」を視聴。

そこで「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞を今一度検索眺めていました。

お調子にのって大丈夫の躰ですごし、その後落ちぶれた人に向って「どんな気分だい?」とはちょっと言いにくいところですが。

まぁ親鸞さんからすれば、我らは皆同じよう、そこいらに転がっている石ころのようなもの・・・

 

扨、中立売通沿いにある聚楽第の石碑は私の知りうる物で2つありました。

烏丸通に近く息子の住処に向かうために右折する交差点脇にある A「聚楽第東濠址」⑤⑥の石標と 中立売通をそのまま正親小学校辺りまで行った左側の B「聚楽第本丸西濠跡」①でした。

 

いつかそちらを通過した時のこと⑤⑥石標には別の掲示板が添えられいました。そして背後からの図です。

Bにはその並びにあと二つの石標が立っています。

その一つが平安宮大蔵省跡②。

そして唐津小笠原藩邸跡③④です。肥前唐津藩主小笠原長行(1822~91)の藩邸跡ということですが、京都の御所近くということもあり、色々な遺構が重なってあるという一面を見ることができます。

尚彼は老中として辣腕を振るっています。

もうちっとばかしうまいこと戦ってくれたら・・・などとタラレバの余分な事まで。