名のりのナイ奴は相手にせず 匿名 不埒千万卑怯者奴

 

昨日の首都圏は7℃にまで気温が低下したとのこと。

当地、本堂は一昨日の朝より1℃高い14℃で遠州相良の優位性を感じるところ。温暖な空気こそ何より。

その地との往来頻繁の息子が知らせてくれましたが昨日の横浜でのご納骨の儀、参列していた若者が震えるほど、寒かったようです。

 

尚、息子はバッテリーあがりのあのバカ車(チェイサー改 ATをマニュアルミッションに載せ替えてサスペンションガチガチ、エンジンも改)は「どうせ乗らないから・・・」ということで見放したのか浜松へ直帰していました。

売却の意向に思考は変化しているようですが、その車への投資金額は200万以上、そしてネット上現在価格は140万程度とのことで踏ん切りがつかないよう。しばらく「値上がりを待ちたい」などとトボけた事を言っている彼に奥方は「アホな夢を見るな、値段があるうちに売り払え・・・」です。

 

扨、世はインターネット大繁盛の時代。

先般もアホな政治屋がユーチューブを使った公職選挙法違反を指摘されて退場していましたが、ネットはお気軽、カンタンに主張、情報をアップできるかわり、各弊害も多し。

プライバシーの問題もそうですが、投稿反論も自由でとかく誹謗中傷の類で相手を傷つけたり、不快不毛の罵り合いにも繋がるもの。

 

「便所の落書き」という形容もされる通り、無責任な感情露出の様は鬱憤晴らしか自己の承認要求の軽薄なのでしょうが見苦しい限り。

特にそういう殴り書き誹謗中傷の類の者たちは「w(笑)」とか「乙(おつかれ)」などのより軽薄な文字を使用しがちです。

親しき友人ともなればそれもOKなのですが。

そこいらの様を俯瞰していてもその者の自信の無さ、主張の軽さ、意味浅薄と若さというものが感じ取れるわけですが、そのお気軽さの落書きを行う者の安心感というものが、匿名ですね。

自らの出自が秘匿されれば好き勝手に振る舞える・・・との思考回路です。

 

そういったその場限りのヒットエンドラン的独りよがりの投稿はいずれの場でも見ることができますが、いつからそのような卑怯道がこの日本でまかり通るようになったのでしょうかね。

 

日本では先ず「名を名のる」というのが通礼。

その礼節が遅れたとなれば一大事、その不躾を失礼と謝罪してから改めて一から名を名のるものでした。

あの寅さんもその生まれと名を示していましたね。

 

先日は、長篠設楽原で亡くなった高坂源五郎昌澄の墓について記しましたが「長篇長篠軍記」(鎌子信治)にその人に関する面白い記述がありました。

高坂昌澄は兵二千を率いて長篠城の包囲に配されていたわけですが川向の付城(鳶が巣、中山の砦等)が酒井忠次の夜襲によって壊滅させられて、その勢いで長篠包囲の武田方の一掃にかかります。その様を見た長篠城の兵も城門を開いて一気呵成に押し出してきます。武田方はもはやちりじりになって敗色濃厚、各将は退路を求めます。

しかし高坂昌澄は勝頼陣方向に参じて前線の立て直しに左翼、家康陣に対峙します。

山県昌景が絶命し武田信豊、跡部勝資が敗走する中、昌澄は唯一人奮戦し、一騎で徳川勢をなぎ倒して連吾川を渡りきったそう。

徳川家康本陣の目の前になりますね。

「それに気づいた徳川麾下の士、稲生次郎左衛門は大音声で呼ばわった。やぁやあ何奴なるぞ。

勇士の不在付け狙い、遠慮も無く暴れまわるとは不埒千万卑怯者奴が、名を名のれ。某は徳川麾下の士稲生なり」

昌澄が「お咎めにあづかり恐縮致してござる。某は武田にその人ありと知られたる老臣高坂弾正忠昌宣の一子源五郎昌澄でござる かねて討死の際は必ず連吾川を越えて敵陣にて最期を遂ぐべく僚友に約した事なれば、今ここに推参したるところなり。ニ三十人無益の殺生を致した。斯く不埒を働きたる申し訳に、某の首は貴殿に進じ申さん」

「音に聞く高坂弾正殿の御子息でござったか、身分違いの若輩者稲生次郎左衛門と申し、徳川後陣を勤める者、不肖なれども此の稲生が御首申し受けとうお許し給われ」でした。

 

まったくもって名無し、匿名の殴り書きほどみっともない卑怯道はありません。「人間」を今一度振り返って改めるべきですね。

 

画像は生き物二題。

ご門徒さん宅にて。猫たちは部屋の中にいる私に「メシよこせ」のアピール。彼らに名乗りなどはありませんがね。よって名乗りの無い人名無しは動物以下。

彼らには名はありますからね。

 

そしてテラスのハイビスカス。

テラスに入れて約10日、朝晩冷えますがこの白の大輪は絶好調。その日は八つも花を咲かせました(11月7日のコレ)。

これまで無かったことでかなり驚かされています。