植物を育む ハイビスカスは絶好調 昨日の境内

昨晩23時の庫裏の温度は27℃(外気は23℃小雨時々強め)。

昼間も同様、殆ど夏気分でした。

午前はご門徒様ご自宅での法縁を終えてから境内で最近の仕事の続きを。

境内の熱帯系植物の冬支度というのがこの時期のテーマですが、大抵は報恩講前に剪定を終えてテラス2階に上げることになります。ブーゲンの鉢の植え替え剪定をしてテラスに。

 

彼らのうちハイビスカスは現状大繁盛の様で連日元気に花を咲かせています。

そしてまだまだ次の開花を主張するような姿を見せつけています。

特に「そろそろ冬?」と思わせるところは黄色の花の色合いが多少濃く変化し赤みを帯びているところです。

彼ら「黄」の系はだいたい朝夕の20℃以下の空気に触れると濃い目の黄色に変化していきますので確かに季節は進んでいることはわかります。

ただし、いたって元気そのものなのです。

よって剪定をする段取りにはあるのですがここで蕾のある枝葉を伐ることに躊躇しているというところ。

画像は咲き誇るハイビスカスたちを並べてみました。

白+赤の個体などは大輪系でパワーを一層使うことからか、なかなか咲きにくいというところがありますがまさに今、絶好調の感。

また、沖縄の街路で見かけるようなオーソドックスな「赤」はさすがに衰微の様。それに代わってピンク系が元気になっています。ちなみに彼らは案外真夏の高温がそれほど好きでないの風も感じます。

 

「色」(主張)によってそれぞれの違いがあるわけで。

それが個性というものですが同じ「ハイビスカス」の種であってもそれぞれ「色」を出して思いっきりそれを発色開花、それこそ違いがある・・・ということです。

植物は手を入れてあげればそれなりに応えてくれますし、サボれば死ぬ。私がくたばった時、これらの運命についてもどうなるかなどわかりませんが、私の生きている証として植物たちと関わり続けたいと思います。

 

さて、違いがあってこその人間社会ですが、この世は未だ差別という語がまかり通っています。その語の否定語となる「無差別」という語も最近良く耳にしますが、それはそれで酷いものです。

避難所・病院、また救急車にまでおかまいなしの無差別攻撃を敢行するイスラエル軍の様が日夜放映されています。昨日で子供の死者が4000人。その親でしたらテロリストと言われようが反ユダヤの旗を掲げて戦う理由になるでしょう。親を殺された子供たちも同様でしょう。

その連鎖が永遠に続くかの感。

 

国内の差別といえばあのギインさん女史殿を思います。

アイヌの方たちへの差別発言で名を為しましたね。まぁ他にもいろいろあった人ですが。

「権力者の得意技は差別」とはよくいいますが昔の権力者というものは自身の地位安定がその意図でした・・・

しかし今往々にして差別的な発言をする人というものは自身の出自が低いものというのがお決まりでしょうか。

民度の低さ無教養を身をもって表明したの感、(いわゆるゲス)ありますね。

 

我々日本人はかつて米国等より「イエローモンキー」(黄色人種のエテ公)と嘲られたものです。勿論私もそれですし他を差別できるような身ではありません。

まして仏教は「平等施一切」ですからね。

まぁあの御仁を見ていると女性議員としてのもがきをも感じてなりません。あそこは旧態依然のオトコ社会にありますからね。

 

そこで何かオカシなことでも吹きまくらないと「注目を浴びないから」ということでしょう。

それを喜んで引き上げようという酔狂ももはや不在。

というワケでいたって気の毒な方でもあるワケで。

その焦りからの暴言であっても恕しというものは必要ですね。

ただしアレは個性ではなく演出。芸人?・・・ならばいいってことではありませんが。

 

ただただ私は念仏申すだけ。

南無阿弥陀仏 なまんだぶ~