利休と丿貫のエピソード 映画のマキノ 等持院

息子は浜松に引っ越したものの今のところ仕事の依頼はなかなか入ってこないようです。

来月にようやく1件そのご縁があるようですが、昨日は再び横浜周辺の法事に向かっていました。

3日間3回の法事だそう。

その前乗りで義母の家に転がり込むという手はずです。

 

義母は相良に住処を変えることになっていますがその際はそちらの家を処分することになっています。

 

しかしながら彼の遠征宿泊には好都合ですので、このまま静岡での仕事が少なければその家を神奈川ベースとして残していくのも一手と私が提案。

すると「誰が水道と電気代を払うんだ」と奥方が騒ぎ出しました。

いろいろ彼が忙しく動いている様子を見て、私の早々の引退も視野に入れなくてはならないのかも。

なんとなく「死に待ち」されているような気がしないでもありませんが。

奥方は引退したら私を「寺男」として再雇用するとのことですが毎日草むしりと伐採、お寺のメンテナンスにこき使われるのはまっぴら御免・・・。

まぁ動けるということは悪いことではありませんが。

世の人の言葉に「死んだら仕舞」とは言いますがやはりそうではなくて「動けなくなったら~」でしょうかね。「自分の足で動けてご飯がおいしい」それが一番の仕合わせ。寺男OKか・・・

 

案外「屋根から落ちて突然亡くなる」なども仕合わせなことかも知れませんね。

長患いして長期療養、意識がないまま胃ろうの処置をされての衰弱死は自分も腹立たしいことですし奥方と息子のケアも大変。

しかしそれも子供たる者の使命ですがね。「すべてが自由で勝手」など大間違いです。

 

なかなか死なないのが本来備わった生命力であり、死なせてくれないというのが医療の進歩。

何が良くて何が悪いのか・・・果たして。

 

そして昨日は史跡研究会の寄合の日。

裏千家の師である増田氏(実家は地頭方)の流れが高天神崩れ(武田方帰農者)の説があるよう。

拙寺ご門徒の増田一統は近江出自(益田~)はまず間違いないところですのでルーツは違うはず。

当地に多くある「増田」の一系統としてなるほどと思ったところでした。

 

師には今回の拙寺バス遠足にも参加いただくことになっていますが、先日ブログで記した丿貫(へちかん)のエピソードについて盛り上がりました。

本当の「おもてなし(表ナシ=裏がナイ)」とは・・・

のエピソードですが、自身の茶室に招待した利休を事前に作っておいた落とし穴に落とす・・・という荒業。

 

利休が丿貫の庵に行くと風呂の煙突から煙と臭い。

さらに露路に赴くと足元の雰囲気がいつもと違います。

平然と歩を進めた利休の足元は落とし穴であり利休は穴に落ちて泥まみれに。

そこに丿貫がタイミングよく現れ出て「大変なことだ」・・・と「汚れをさっぱり落してください」とばかりに風呂へ案内。

利休がほっこり風呂から出てきて喉が渇いたところに、丿貫が温度、濃さを風呂上りの喉に最適な茶を差し出し、もてなしたという不思議な話。

 

実はこの流れについて利休はすべて丿貫のその意趣もてなしを承知し、露地に作られた落とし穴にわざと落ちて泥だらけになり用意された風呂に勧められるままに入ったというもの。

亭主の意趣を損なうことは亭主に恥をかかせることになりますし、それこそが真なるおもてなしと心得れば「すべてを信ずる」ことこそがまたウラがない心構えというべき粋なところ。

 

当流阿弥陀如来を亭主とすれば私は客。すべてをまかせる。

それを思いました。

 

まぁ普通なら「喧嘩して帰るところだ」(奥方)でしょうね。

「それでもそんなものわからねぇし二度と口きかねぇ」と腹をたてつつ無粋な意見もありましたが。

 

私なら丿貫の心情の方をスゴイと思いますね。

「落とし穴」の類、かつて色々なところでその手のイタズラをしてきましたが、穴を掘って相手がそれにかかるのを見届けながら真顔で現れてそれを気遣うなどできませんね。

ゲラゲラ笑い転げながら「してやったり」の心境。

 

利休の心情も倣うべきかも

まぁ丿貫はそれが目的ではなく、最良のおもてなしのための手段としてそれに行き着いたということでしょうが。

 

相手に酷い仕打ちを受けたとしても、「わかっていましたよ」の躰でこれもおもてなし・・と解釈して受け入れれば喧嘩は起きないかも。

 

扨、本日も等持院

①画像は足利尊氏宝篋印塔近くで見かけた石灯籠。

これは江戸期のもののようですが、利休は庵に石灯籠を設けそれに灯る灯かりに情趣を感じたよう。

 

そして世は俄かに牧野富太郎ブームといった感じ。

いろいろなところでその名が聞こえてきます。

そのマキノではなく、日本映画界のマキノ。

等持院には牧野省三の墓とその大きな像が建っていました。

古刹の佇まいに意表を突かれたことは確かです。