本堂補強材のある正覚寺本堂 再び青と黄のあの言葉

数日続いた雨模様コロコロ変わる天候は終わり昨日はスカっ晴れのドP感。沖縄のビーチにいるが如く。

現状の私は、いわゆる絶が付く不調期。

動いて何かをしようという気にはさらさらなれませんね。

そこいらじゅう伸びきった雑草どもはもはや放置。

すべていつもの「勝手にしやがれ」。

 

台風の9号が発生しましたが続いてスグ10号が名乗りをあげました。

ご両名とも「どうかこっちには来ないでちょうだいね・・・」ただそれだけです。

今の私の気分としてはノーガードで耐えるしかない・・・といったところ。

 

それは数日前から始まった原因不明の腰痛です。

「齢のせい」と考えるのが妥当とは思いますが、なにせ痛い。

寝返りを打つのも運転席からの出入りも辛い。

それは画面で見たバイデン大統領の歩の進め方よりもさらにゆっくり。

もたもた、ぎこちない動きの中、時折痛みに声を発してしまう私に「うるさい」。奥方は笑いながら「飯食って寝てれば治る」などと「安心」の言葉を吐きますが、激痛が継続することはキツいことですし「もしかしてこのまま・・・」の不安があります。

齢を重ねると出来ないことが増えるとはいいますが、コレではいきなり「何もできねぇよ~」です。

 

その数日前、「この夏、久々水上スキーでも・・・」など奥方に軽口を叩いたばかりですが、阿弥陀様からの「それをやったら体がバラバラになって死ぬよ・・・」「大人しくしていろ!!」のお達しのような気がします。

奥方の笑いを信じて今は忍耐で過ごすのみ。

 

体力の年々低下、各所(関節系)にガタが発現して今後の難渋が予想されるところですが、表面的な部分、痛みの出現は比較的スローで危急感はそれほどでもありませんが、血管系の病は如何にも突発的で「即ち死」に達するような危篤をイメージします。

それらの病のうち、脳溢血、心筋梗塞などの突発もありますが、特に最近よく耳にするのが大動脈解離。

 

大動脈の裂け(・・・破裂)方によって、または症状の発現(背中・胸の激痛)の際の緊急性(119対応)の認識によって「あとのこと」が違ってくるのですが、怖い病ではあるものの対応が早ければ助かっている方はたくさんいらっしゃいます。

要は痛みに悶絶、昏倒した際に「近くにどなたか、人が居るかどうか」が分かれ道。

異変に気付き、救急の手配を即座にしてもらえるかどうかですね。

 

先般お聞きした、ある方の病状もそれでした。お独りで暮らしいて、酒もたばこも嗜まず血圧も正常だったといいますが、買い物をして帰宅直後に倒れたそう。

12時間近く経過して家族が向かったそうですが既にこと切れていたといいます。

医師の診断は大動脈解離。しかも約2時間は存命していただろうとのこと。

ご自身が購入した飲みかけのジュースが傍らにあったそうで、なんとかその状況を打開しようと力を振り絞ったことがうかがえるのでした。

ただ、家の中ではなく、人の目に触れる外で倒れていれば・・・などと考えるところですが・・・やはり人の生というもの、色々あります。

 

扨、昨日記した正覚寺。

人の身体も齢とともにガタが来ますが建築物といえば経年劣化。

そしてお寺の本堂は耐震基準も満たされない古い時代に建てられたものばかり。

特に三河といえば地震に台風と大きな天災に見舞われた歴史があり、現在の大抵の本堂、鐘楼など補強材が施されている例があり拙ブログでも何度か記しています。

 

こちらのお寺にも鉄骨の補強材が組まれていました。

私はそれらの対応を見て「お前はどうよ」の焦燥感を。

拙寺は内部に関しては完璧とはいえないものの補強を試みていますが外部の横揺れに関しての対応はナシ。

アレを見ると心細くなってしまいます。

 

③の言葉はやはり本派の善巧寺本堂で拝見したものと同じもの。阿弥陀経の一節ですね。

お西のキャンペーンでしょうかね。

「青と黄」と言えばウクライナを連想、あの戦争を示唆しているようにも感じます。 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    お祭り大好き (日曜日, 27 8月 2023 04:58)

    8月も最終日曜日となりました。 9月上旬の王位戦は決着がつき牧之原市開催は夢となりましたが、市民に身近な国指定と県指定の御船神事の今年の開催可否が不明ですね・・・。  牧之原市ホームページは、2019年以降更新されていないようです。 小規模開催の風の便りもありますが、観光資源としての為政者の価値判断は・・・・。 頓珍漢なことを述べてしまいました。

  • #2

    今井一光 (日曜日, 27 8月 2023 08:18)

    ありがとうございます。
    小中高生の頃の焦燥感-遊び明かした夏休みーに似た思いか今の弱体化した耐力(腰痛)の情けなさ、弱気・・もあってそれが彷彿としてきます。
    季節への思いは人さまざまですが、私はこの時節、ことに寂しさを思います。
    8月31日に「おさらば」したくなる子供たちが数多いると聞きますが、その気持ちはわかるような気がします。
    大人たちの理解力全般が欠落しているということなのでしょう。
    私も今の子供たちにはまったくついていけないというかわからないの部類の旧人ですが思うにその地域文化の継承者たる子供たちは何より絶対数が不足しているよう思います。
    笛吹けど踊らず・・・の現状の雰囲気もありますが、人少なしでは何をやるにつけうまくいかないのでは・・・
    私は観念の心境に入りつつあります。すべてがお手上げなのかも知れません。