台風11号のせいで東海地区が大雨となったのは一昨日。
たぶん昨日も同じような空模様かと思いきや当地は一日中いいお天気。
毎年やってきて朝夕になるとことのほか良声を響かせるつがいの鳥が境内に生息していますが、この日は昼間にも囀りまくっていました。
まるで何か訴えかけるかの如くのおしゃべりの連続を思いますが、ひょっとすると私への「忠告」かと「聞きなし」。
しかし哀れにも私には気づけない・・・。
敢えて感じることと言えば「仕事しろ!!」でしょうか。
牧之原市の昨日のコロナ感染者は65人。
日本全国も静岡県も減少感あるのですが、なぜか当地はその感覚とは程遠いものがあります。
ということで法事は「今慌てて行うことではナイ」ということなのでしょうかこの9月の法要予定は至上極稀の2件。土曜の晴れとあっても墓参はとても少ないですね。
毎日市内でそれだけの感染者の数を叩き出しているのですから「怖くて集まれない」というところでしょうか。
まぁ感染していたらどこにも出る気にはなれませんが。
それでも昨晩、当地では花火が打ち上げられていました。
無理してそれを開催して感染者を増やすことはないのでは・・・
当家ではネコどもがその爆音を聞いて室内を恐懼走り回る姿を見ることになりますので甚だ迷惑です。
それよりあの鳥たちは大丈夫なのか心配になってしまいます。
さて、昨日の善巧寺。本堂へお参りに。
須弥壇荘厳は本派ならではの煌びやかさ。
③の文言は当流拝読機会の多い阿弥陀経④の一節からですね。
私が経典のこちらの箇所に至った時、今思い起こすのがウクライナとロシアの諍いです。
この青色・黄色・赤色・白色のしつこく色の種をあげるところ、人には「人種主義主張の違い」があるのは当たり前「ともにその違いによって抗い制すること勿れ」・・・を示唆する箇所ですが、その4色を組み合わせながら両国の国旗を思うのでした。
⑤⑥は昨晩玄関内に招いた月下美人。いつもは外に放置しています。「今晩あたり」を見計らって・・・
白色白光の絶妙で、香りも微妙(④阿弥陀経)。
「香り」と「白光」を独占するために・・・
日没後に咲き日の出とともにしおれ香りもなくなるという特異な花です。
咲く前の葉の様子は虫に喰われていかにも「だらー」っとした厚く美しくない葉。
それが人目に触れぬ夜に、まるでこっそりと咲くというのは唯我独尊。
人・物を一見したところの感覚でその良し悪しを判断することがいかに間違いであるかを知らされるのです。
そして子供や人の育て方も・・・
ゼロが100、いやそれ以上に変化する感覚、それがこの白光ですね。
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