長命を祈る間も減る命 土呂製茶支配「初花」松平念誓 

「私は即で・・・」の声しか聞こえてこない例の年金の「繰下げ受給」の件。

いくら人間が頭が「欲」で構成されているからといって将来の「年金up up」のPR戦略にのるのはヤメタの声を耳にします。

さもオイシそうな「イイ話」ですが、昨日記した如く「イイ話」ほど詐欺的なものはありませんからね。

 

年金の受給開始を65歳→70歳にして受給総額「至極お得です」の掛け声。そして2022年4月からその繰下げ受給が70歳→75歳までとさらに期間延長されました。

そのバラ色の将来をゲットしようとの疑似餌は1年で8.4%。

5年なら42%。最大の75歳までの10年間であれば84%のupというスバラシイうたい文句でした。

 

ただしそれ、当たり前の事ですが「長生きしてナンボ」の世界です。

それはそれは長生きすればするほど「Pay Back」の期待が増えるわけですが、そうは問屋が卸さないというのが我ら人の命というもの。

土呂本宗寺本堂の標語の如く「長命を祈る間も減る命」であっていつ何時コロっという具合に命終わることがあるわけで、まったくわかりません。

要はそれは「捕らぬ狸」になる可能性が十分あるバクチに近いものがあるということ。

 

自分がその損益分岐年齢約82歳を超えて尚、更に年齢を重ねることができたとして、ガッツリとその差を実感できるのが90歳くらいでしょうか。しかしその悦びなど殆ど実感できない年齢かも知れません。

そもそもその「90まで生きられる」など思うこと自体が図々しい。

「死ぬ死ぬ」と日々口にしている坊主の身は案外と長命者が多いということはありますが、やはりそれを思うのも高慢ちきそのもの。

どうなるかわかりはしませんが、とにかくお国の方に「してやったり」と思われるのは避けたいというのが人情です。

「老人は早いとこ死んでくれ」風の声が聞こえていましたが「その手は桑名」というのが庶民の感覚。

「健康で長生き」して国を悩ませましょう。

いずれまたそのしっぺ返しは国民が負うのでしょうが。

 

扨、本日も昨日に引き続き土呂。

以前記した土呂八幡宮の境内北の竹藪に海月左五介の墓がありましたがその北側の谷部を隔てた地にある高野山大師教会なる石標(場所はこちら)の裏側にその案内板はありました。

長沢松平家の松平親宅(念誓)は武家→商人となった異色の人。それは信康事件を発端にしているようです。

あの件ばかりは家臣団困惑だったでしょうからね。

茶の栽培に傾注し家康もまた彼の茶を所望していたとのこと。

 

彼の墓は先日来記している岩津円福寺長沢松平墓域周辺にあるようですが、私は個別に確認できていません。