西洛ならではの阿弥陀仏 善峯寺阿弥陀堂

コロナ九波が夏にピークを迎えるかも知れないとのこと。

なるほどあまり表には出てきませんが中部某地区の高校ではコロナ急増につき学級閉鎖になったなどの話あり。

ある方から「実は息子が現在回復基調」という話もあったりします。

今回の波は年配者よりも子供たち若年層の発症が多い・・・致死率は低い・・・などの説あって今のところ社会は「どこ吹く風」の躰。

 

クソ暑い時節、マスクはうざいし苦痛以外の何物でもありませんがこれからますますのことでしょう。

しかし、もうしばらくの間、私は我慢し続けるつもりです。

 

昨日は御門徒さんのご自宅での法事がありましたが、私独りだけマスクの形。

その場でずっと口を開けているのは私ですから仕方ないことですね。

そのあと何かあったとしたら「あの時の坊さんのせい」の御指摘があるやも知れません。

当分はおそるおそる・・・

私なりの「瓜田に履を納れず李下に冠を正さず」です。

人という者は責任を自身以外のところに見つけ出そうとする生き物ですからね。

 

奥方も毎度「(悪いことは)御前のせい」ばりにきついお達しが・・・「しっかりしろ」。

私の感覚、そのお叱りは大概は正解ですがお門違いも多いもの。

どなたでも「八つ当たり」はあるでしょうし。

まぁいつものことです。

それとも私の老化のせいで「気づき」が遅いのか。

やはりこれからの私・・・「老化」がテーマになるのでしょう。

昨日の世話人会での配布物には日にち間違いの件、御指摘を受けてしまいました。

日々「やらかし」が増えたように感じる昨今。

 

扨、その私のそれぞれについて阿弥陀さんは何でもお見通し。

またそれを畏怖としてだけでなく励みと感じて生かされているのが私どもでありそれが「まかせる」の理念です。

「他力の本願」に「悪人正機」とも。

 

そんな阿弥陀さんが眼前に現れるというのが西の山から。

「山越阿弥陀」ほか阿弥陀仏が現れるのは西(西方浄土)というのがお決まりの事ですね。

 

面白いのは寺のある場所。

京都という東西そして北の三方の山に囲まれた地ですと西も東ももちろん北も阿弥陀仏といえば西ですがその位置のこだわりはし。

東でも北でも西を拝めばOK。西にあったとしても西方浄土からみればいつも東の端にいるということですからね。

 

昨日の続き洛西、西山善峯寺。

阿弥陀堂がありました。

あまりお目にかかれないカタチ、宝冠の阿弥陀如来。

阿弥陀堂の額が無ければ、まずは「どなたさま?」と目を凝らす姿です。

比較的古い形式の阿弥陀座像で、「宝冠阿弥陀如来」とはいっても実際に経年から宝冠が脱落消失していたりしますが軸にしろ仏像にしろ全国的にそれは散見できます。

立っているか座っているか、光背が舟形かでの比較ばかりしている私にとっては新鮮なスタイルの阿弥陀さんでした。