昨日は三人で裏の墓地にてだらだらと・・・
私は草刈り機をブン回していましたので、その時二人が居なくなったのは感じていましたが、そんなことがあったとはわかりませんでした。
聞けば年配のご夫婦のうち男の人が境内駐車場とコインランドリーの間の道で倒れたと。「熱中症!!さぁ大変」ということで奥方と息子がその方(90歳と言っていました)の元に駆けよれば、躓いて膝を擦りむいただけだったよう。
物置から椅子を取り出して暫く休んでもらったそうですが、その時の御夫婦の会話がいわゆる特有のものだったそう。
「夫が言い張り、妻が引き留めしかし夫は一歩も引かない頑固」のパターンだったよう。
私もそうなるのかなぁ・・・と思いつつその90歳とはほとんど「天寿」。そこまでいければ「もうどうでもイイ」の世界。
その御年で夫婦で炎天下を散歩し尚、引っ繰り返って「へいチャラ」の躰で妻を罵る・・・なんてデキすぎ、上等のレベルですね。
家に居ないで外に出る事、これ熱中症を避ける妙法なり。
相良の高齢者、元気です。
さて、昨日は相良繍(さがらぬい)について記しました。
その他各種刺繍の技法はありますが、どうしても縫物は苦手でその固有技術についてはまったくわかりません。
奈良国立のブースにもそれらを紹介する展示がありましたが私には「無理」・・・
もっともやはり古来より「刺繍」造形による「ほとけ世界」の現出の発想は女性が主体(・・・・「天寿国繍帳」)というのが定番のよう。
本日は刺繍の技法ではなくのその素材について。
「ほとけ」を飾る刺繍に「髪繍」(はっしゅう)なる方法がありますが、今回の展示物の中にも各紹介されていました。
特に昨日の相良繍が施される部位、仏の螺髪部分に本物の髪の毛が編み込まれているというもの。
髪を糸に替えて編み込むその意図とは・・・
勿論ある故人を「追善供養したい」というところが大・・・と推測するのが現代の評価。
軸や織物に描く「ほとけ」たちは「堂」中央に納まるいわゆるご本尊。愛する人(故人)を仏と仮託して合掌礼拝の対象としたいと考えることはごく自然、というよりも当然であるという風潮があったかも知れません。そういう「ほとけ」の演出は結構に見られます。
①髪繍阿弥陀聖衆来迎図(奈良 金剛寺 鎌倉時代)
②髪繍阿弥陀三尊像(徳川美術館 南北朝時代)
①は阿弥陀如来と二十五菩薩が雲に乗って来迎の図。
仏と菩薩の頭髪や衣文線、頭光に沿って髪繍が施されています。
束ねて撚った毛髪を鎖繍のように繍っているとのこと。
②阿弥陀如来の螺髪と両脇侍の頭に髪繍を施しています。
髪繍は絵画仏画のうち仏の頭部のみにそれを施す例も多種に及びます。拙寺に伝わる「髪繍阿弥陀如来来迎図」(③~⑨)の三尊形式でない他の菩薩を引き連れていない阿弥陀如来単独での来迎図ですがこちらの阿弥陀さんの頭も「髪繍」と見ます。
以前「馬の毛」との評価を受けた事がありますが、私はそれを信じていません。
まぁ科学的分析に処すれば判別は簡単でしょうが。
この軸は木仏阿弥陀如来が本尊として拙寺に来た3代目の頃以前の御本尊だったと伝わっています。
独尊の阿弥陀如来の正面向きの立ち姿での来迎の図は中国宋代
(960~ 1279)の形式と言われています。
如来さんのシルエット・デザイン的には下記の「刺繍阿弥陀如来像」と似ています。
拙寺の阿弥陀さんには雲が見えませんが蓮台に乗っているところは同様。見にくいですが頭部後方の円光と光条の様子も・・・両手の指のカタチ来迎印も・・・。
そちらの阿弥陀さんの頭部は髪繍については施されていないようです。ちなみに阿弥陀さんは奈良国立博物館所蔵 鎌倉時代のもの。
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