清康仮葬地 権現さん玉屋 観音寺 闘争・逃走反応

最近、殊に息子がその軽率から親の面目を潰すような事案が多いような。

先日も記しましたが人気歌舞伎役者の「親殺し」―まだ罪状は決まったワケではありませんが、傍観者の印象としては今のところそれか、自殺幇助でしょうね。

理由はただの逃避。

時代劇風に言えば何かをやらかして御白洲に引き連れ出されての「針の筵」は「ありえなかった」のだと思いますが「両親を殺してまで・・・」(それ、やるか?)と疑問が湧くのが一般人の思考、いや大多数の意見でしょう。

 

首相官邸で、その息子が羽目を外した画像が出回って周囲から顰蹙を買い父親に恥をかかせていましたが、息子の存在というものは結構に親のリスクになるものなのでしょうかね。

 

私の場合も父母に「一般的」と思われる以上の面倒をかけた事は違いないところですが、私の息子もいろいろ学校でやらかして苦笑いの連続―殆ど奥方が事後処理班として動いていました。

 

一昨晩、ニュース番組の筆頭となった長野、中野市の件も一見してその人は「凄惨な凶悪犯」を思いますが、一夜明けてみれば報道では「普段は大人しくて口数が少ない人」と。

結果的にその父は一夜にして職(市議会議長)を失い母も繁盛していた店を閉めたといいますが、それ以上、地元で続けて生活することはできないかも知れません。

こちら相良でも一人の殺人であってもその人の親は退去し、新天地に向かったことを目撃しています。

後先の事をまったく考えない衝動とは・・・

 

昨晩は阿部定と坂口安吾の対談等、NHKの番組を視聴しましたが

その衝動は「ありのまま 人間だから・・・」発するのだと安吾が。

ということはその手の事案色々は「誰であってもやらかしうる」「縁次第 偶然」ということかも。

その時の「大した理由」など無いということ。

一人の人間の行動など他者から見て理解できないところは多々ありますし、自分の事であってもしばしば理解不能に陥りますからね。

私はそもそも自分を「信じて」などと到底言えませんし、だからこその「ありのまま」・・・絶対他力・・・であって「まかせる」ほか無いのですが。

まぁ「やりたい放題」とも言うようです(奥方)。人は少なからずそのようなところがあるのでは・・・ 

 

 

扨、昨日の清康の墓ですが、その隋念寺の廟墓は改葬墓。

大樹寺が主たる改葬墓といわれていますが大林寺も同様ですね。

 

そしてもともと清康が埋葬された塚のあった場所は西尾の長縄町の「権現さん 玉屋」観音寺です(場所はこちら)。

 

「アベの錯乱」守山崩れに関しては守山城でかつて記していますがあの事件は「闘争・逃走反応」の切り口で見れば少々納得。

昔から「奥の墓道氏」と互いの失策自虐の意で「ゲシュタルト崩壊」と。無脈略な行為ですね。

人間はそもそもどこかしらオカシイし意味不明な事を「やらかす」ものなのです。「まさか」と思うような人が「ウソだろ」と思わせること、しばしば見せつけられています。

みなそれぞれ、さまざまの「オカシイ」が「私」に同居しています。

 

①-②-③-④と荼毘所から墓地まで連続画像。