教師と言えば以前は皆生き生きしていたように感じます。
私で言えば父もそうでしたし叔母や叔父の中にもその職に就いた人はいました(今は現役教師はなし)。
私の知り得る限り今、言われているよう、職務(学校)の為に自ら、そして家庭をも犠牲にして没頭しなくてはならない、といった緊迫感もなければ、モンスターな親たちの出現など聞いたことがありませんでした。
かつての学校・教師は生徒、保護者の上に「君臨」していた感がありましたね。
奥方は女子中・高に通学していましたが登校時の朝の正門前の景色といえば物差しを持った怖い先生が仁王立ちの様だったといいます。
私の中高時代の教師というと体育会系の若い教師、剣道部顧問は竹刀、野球部はバット、陸上部はなぜかスコップという多彩なアイテムを片手に威風堂々の躰でしたからね。
現代はそれはさすがに無いのでしょう。
それが今、教師の愛情をもっての教育的指導であったとしてもそれを振るったとしたら各方面から吊るしあげられることはまず予想できます。
それは教師に限ったことではありませんが。
今、どなたでもそのお相手に対して精神的であろうが、外的圧力であろうがプレスを与え、それが如何に軽度であったとしても相手から「被害がありました」の主張があればその周囲の環境はそれで一旦はストップすることは当たり前のこととなりました。
場合によっては職を辞することになりかねませんからね。
小学校時代から教師たちの「愛の鞭」にガンガン育てられた私ですが、父母もそんな時に「えへへ・・・」の苦笑いでしたしあまりにも多くの「ご指導」がありましたからいちいち親への報告もナシ。
時代が違うといったらそれまでですがね。
今とは違う懐かしき学校の風景でした。
扨、昨日の岡崎隋念寺。
教務所前(三河別院)と同じ通りからその寺のある丘を仰ぎ見れば中段にそそり立つ層塔が目に入ります。
私がその塔の存在に気付いたのは2012年頃でそれが何しろピッカピカの雄姿、それは出来たばかりだったのでした。
下賤な坊主の身、ついつい「どんだけの余裕・・・」とその潤沢資金について「スゴイ!!」を思ってしまいました。
段丘状にズラッと並ぶ墓石も圧巻ですが、古い板碑に変り種の五輪塔など楽しみは尽きません。
中でも家康がそのためにこの寺を建てたという(清康と於久)だけにその御廟結界がありました⑨⑩。
ただし正面には⑪。
よって某ルートから墓石の図⑫を拝借しました。
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