幸田 西方寺縁起と菱池の歴史(幸田郷土資料館)

二日前のブログにて「無事こそ一番の仕合わせ」の如くのことを記しましたが浮世の人生それがなかなか難しい。

というか「無事こそ無理」というのが人の生。

むかしからその「仕合わせ」を「恙なき」・・・と言ったものでしたがそれは一言で言って「健やかに」の希望。

 

「恙なき」の恙(つつが)とは病災のことですが、「ツツガムシ」とも。

そして「恙なき」の語源が今となってはその生き物(ダニ)とつい考えてしまいますが、その被害が世間に知れ渡るのはずっと後になってからになりますからその生物の害が大元ではないようです。

 

しかし私にとっては今年その「恙なき」・・・ダニの被害が無きよう・・・をつくづく思わされました。

というのは今年の啓蟄にマダニの咬まれての恐怖の時間(約1カ月の経過観察)を味あわされたわけですが、再び数日前にヤラれました。

 

あの件以来特に草刈りなどの外作業の後は風呂に飛び込みますが、脱衣場から出てスグ奥方のダニチェックタイムを設けるようになりました。

咬まれた箇所の異常、他所への腫れなど湿疹等の変位が主ですが、その時奥方は私の背中を見て「何だこりゃあ!!」の声をあげました。

先日の個体とは違うのか「これから血 吸うてやる・・・」の咬んで間もなくのようで血液で太っていない姿でした。

おそらく襟元から入ったのではないでしょうか。

当然に「取ってくれ~」と奥方に懇願したわけで、今回は指でスンナリと外すことができたよう。

 

これからまた症状発現について日々観察していかなくてはなりませんが、2カ月で2回とはいくら何でもヤラれすぎ。

それだけ野山には奴らがうじゃうじゃ居るということでしょうね。

 

昨日お会いした方から。

この1週間ほど前に亡くなった知り合いの方は原因不明のウィルス性の病だったそうですが、具合が悪くなったのは「タケノコ堀り」のあとから。最期は呼吸不全に陥って気管支を切開したほどだったと。

 

私も笹竹を刈る作業に心当たりがありますが、殊に「竹藪がヤバい」の雰囲気はありますね。

ある方は「草の上に寝転ぶ・・・」など(太陽の下で自然を満喫風)まさに「自殺行為である」とも仰っていました。

 

尚、今回は私の背中の咬まれた箇所は赤く大きく腫れています。

他に異常はありませんが少なくともあと10日程度は不安な気持ちが継続しますね。

奥方は前回同様、空き瓶の中に除去したダニを放り込んで「2匹ゲット~」と満足そう。

無事でいられることの奇特をまた思いました。

 

昨日はまた刈機を持ったまま法面から落ちました。1mもありませんが・・・。

刈機を保護しながら、尚且つ受け身のような形で落ちることができて膝と腰の擦り傷で済みました。

落ち方ができていること、受け身ができた事、それがまた確認出来てとても嬉しくなりました。

 

「幸」の文字発祥が「手かせ」の象形といいます。

「罰」「不運」が、「案外軽く済んだ」ことを歓ぶことからと。

「恙なき」こととは災禍が思いのほか軽く済む(・・・無事)ことを言うのかも知れません。

何をするにしろ完璧な「無」「無傷」などは「無い」のですからね。

 

扨、昨日の西方寺の続き。

幸田町は広田川を発祥の新しい名称で、個人的には「ちょっとね・・・」の疑問符が付く地名ではありますが、岡崎のスグ南、海岸部の西之郡(蒲郡)とを繋ぐ比較的平地の続く要の地になります。

特に菱池の存在は水運にも一役買っていたことでしょうから人流物流とも要の地。

 

その菱池を西に臨む丘の林の中に佇む西方寺の本堂にはその寺の縁起が記されていました④。

①②③は扁額に駕籠。⑤⑥は墓域。⑥は鳥の餌台でしょうね。それを見て墓地に燭台兼小鳥の餌台の製作を考えたところ。

⑦は寺から下ったところでかつての湿原をも感じさせました。あの時も丁度今頃の季節でしたね。

 

⑧~⑪は深溝の幸田郷土資料館で拝見した菱池について記したもの。

深溝の名称でいえばブログでは丁度一年ほど前に深溝断層で記しましたがその地のスグ南は蒲郡になります。西の山越えで西尾。

その幸田郷土資料館、「郷土」とは冠にありますが、その建屋前の敷地には払い下げられたのかヘリコプターやら大砲やら意味不明の武器展示物が並んでいました。

町名も疑問ですが、その件もちょっと違和感アリ。

 

それはともかく夏目家の明善寺(または    そしてとの関り)のある幸田、私は好きな地です。

大河ドラマ三方ヶ原戦ではこれまでの伏線と考えれば一つのストーリーが大いに推測されますので明善寺の墓の案内は番組ラストの紹介コーナーで採用されるかも知れません。