幸田町高力熊谷 高力神明宮

まとまった雨降りの一日でした。しかし昼すぎから買い物の付き合いで島田へ。

そちらで年配者にありがちな運転操作の錯誤の一つを目の当たりし奥方が絶叫していました。

尚、私どもはただ傍観。アレばっかりは動けません。

以前はそんな時、衝突して動けなくなった時エンジンキーを切りましたが往々にしてパニックに陥る運転手はオートマチックをリバースにいれるなどして暴走を繰り返しますからね。

 

建物側駐車スペースには特に輪留めの設置があるのが常ですがその車は輪留めと輪留めの間を通過して歩行者通路のカラコンをズルズルと音をたてて押し込んでいました。

奥方が叫んだ理由は我々の進行方向、その車の後ろを通過することになっていたからですが、その声が聞こえたのか、その車はブレーキを踏んで建物への接触までには至りませんでした。

 

降りてきたお爺さんはそそくさとトイレへ駈け込んでいましたのでかなり急いでいたということがわかりました。

歩行者に冷や汗をかかせたということで会釈の一つもあればとは思いましたがやはりその辺りも年齢的にムリなのでしょう。

私もそういったミスをやらかすことがありますが、きっとそのように、たまたま、偶然、ラッキーだけでやりすごしているのかもわかりませんので他人様のことはどうこう言えませんが・・・

しかし照れ隠し、笑いながらも「ゴメンね♡」が言えるかどうか。それもある意味、老化の指標でしょうね。

 

扨、幸田吠え面に戻ることにして記します。

それはたまたま夕刻に「長七郎江戸日記」なる古いドラマを視聴したからです。ちなみに長七郎とは「駿河大納言忠長卿の遺児・松平長七郎長頼」で最後の見せ場ではこれまでの浪人風衣装から葵紋付のキンキンギラギラの二本差しで見えを切っり悪人をぶった切るというスタイルです。

その回のお話が、島原の乱後に島原藩に入った高力忠房(高力清長の孫)の子、隆長が領民統治の失政により改易。旗本に降格された件にまつわる史実に沿ったともいえるお話でした。

 

その高力といえば幸田でしょ・・・とその名を思い起こしました。

その名はブログでは大草城址(またはこちら)の正楽寺墓域でも登場していますがそちらからもほど近く幸田の高力熊谷という地に(場所はこちら)高力神明宮という名の神社があります。

家康配下で名だたる武将も何故か大河ドラマではスポットが当てられていない高力清長の城址があったといわれる地です。

 

この「熊谷」はもとはといえば宇利城(またはこちら こちら)の熊谷氏一流のことを示唆しています。

家康の祖父清康時代に宇利城より敗走した「熊谷」が土着したといわれています。

しかしスゴイ地名で歴史好きには圧巻。

 

また上記ドラマに登場している火野正平氏、若い、若すぎる!!。

NHKの日本縦断こころ旅に今視る彼は私と同様「いかにも歳を重ねた」感あります