幸田正楽寺墓域 高力熊谷 大草松平のお隣に

昨日は一昨日の方とは違う火葬場の職員と一言二言。

近況を伺うと「昨年末からずっと・・・」超煩忙が続いていると。

「昨年と違うと感じるところは・・・」と問えば、高齢者、特に90歳超えの方が多いといいます。

なるほど・・・すべてにおいてこの状況に耐えることが難しかったのでしょうね。免疫力・体力の落ちている方たちには・・・

曾孫たちが開放感満点で実家に遊びに来て、そこから感染してしまう例も聞きます。

高齢者が住まう家に訪れるにはまだまだ慎重さと配慮が必要です。

浮れて騒げばまず足元を掬われて痛い思いをすることになります。踊らされてはだめでしょう。自重しましょう。

「舞い」は彼らだけでいいのです。

 

いやはやトホホと思わされたのは狛江の90歳のお婆さんが見舞われた強盗殺人の件。

三面記事とはいうもののそちらは私が学生時代に住んでいた地ということもありますが、20代の若者らしい輩数人がそんな高齢者の住まいを強襲。

か弱き高齢者を縛り上げてボコボコにし「カネのありかを吐かせる」など、それは如何にも酷すぎる。

いわゆる「血も涙もない」ケダモノの類を思いますが、自然界の動物であっても掟はあるものです。

 

関連組織の23歳の現役自衛官が逮捕されていましたが、「国民を守る」というのは詭弁だったの?と大いなるギモンが湧きます。

鉄砲やミサイル、ヒトの殺し方を教える前に、やはり「人の道」というものをガッツリと頭に叩き込んでいただきたい。

税金がお給料の方たち。

その払った税金で養われた若造の短慮が跳ね返って牙を剝いてくるなんて、シャレにもなりません。

 

心というものが喪失してしまっている世の中なのですかね。

他者より私の大事。

他人といえども思いやること大切なのに。

思いやるではなく思いあがる思考こそ自身も国も亡ぼすのにね。

くだらない世の中に成り下がったものです・・・責任をもって何とかしろぉ~。

 

扨、拙寺所縁の成瀬藤蔵(寛政譜)もその攻城に顔をだしている吉田城

その城の奪取が成功した頃、いわゆる「三奉行」が定められます。

 

その辺りのところ「三河後風土記 正説大全」から。

「斯て吉田の城代は酒井左衛門尉忠次に仰付けられ、又田原の城を責取給ひ此城代は本多豊後守康重に仰付られ、又三奉行を定め給ふ」

「その輩は高力左近・天野三郎兵衛・本多作左衛門等也。

高力は柔和にして慈悲深し、本多は利発にして短気なり、天野は穏便にして思慮深し」

 

天野三郎兵衛ほか御三名についてはこちらを(各リンク先あり)。

 

昨日記した幸田正楽寺の墓域の続き。

大草松平の墓5基の左側に大き目の五輪塔と宝篋印塔が二基。

それらを仕切る間には灯篭風石柱③が立ち左右の墓石たちの結界となっています。

右側の石塔類5基が「岡崎築城主西郷家之墓」で左側の2基が「高力城主熊谷家之墓」と。

こちらがいわゆる「高力熊谷」所縁の墓ということです。

 

私からすれば大谷派のお寺だけに本堂お参りは勿論、この墓たちの主、両家とも身近な方たちだけに楽しい場ということになります。

背後に散らばる五輪塔残欠、墓石等それぞれも。

 

上記書物にある本多作左衛門の語が面白い。

『「愚昧にして一文不通の者共 むづか敷文言にてはとく心すまじ」とて筆取て「人を殺せば己も殺さるる 火を点ける者は火あぶりに成、いたづらする者は奉公人仕置にする」と悉く仮名にて書付出しける故、愚昧の族(やから)合点・・・・』

 

バカにはわかりやすく教えてやれ・・・ということでしょう。