神が舞い降りた 岡崎舞木 順念寺 

当地静岡に被害をもたらしたダブル台風(特に二つ目 天災の字の如く天から舞い降りてきたの様)が去ってから当地のお天気は安定した秋晴れが続いています。

29℃と意外な気温上昇になっていますが湿気が無い分快適です。

 

この晴れ間は河川が溢れて浸水した家屋の片づけ作業は捗ったとは思いますが、あの家の中に水が流れるという普通では考えられないことが起こったりすると(これは初めて聞きましたが)、床下の土砂を撤去して乾燥までに「1カ月」以上擁することを覚悟しなくてはならないようです。

畳や床を外してその下に堆積した泥を完全に除去しないと異臭、カビ等の発生があって健康被害に繋がるからですが、まずは断水が解消しないとお話になりませんからね。

昨日あたりで大分復旧が進んでいるそうですが、まだ完全復旧にまでは至っていないようです。

床下を洗い流したあとは扇風機、乾燥機等をフル回転させて乾かしてからようやく床の張り替えが出来て、浸水によって壊れた家電製品を揃えるということになりますね。

 

独り住まいの方、年配者だとその手の作業にはなかなか手が出せないでしょうし資金的にも相当の出費を覚悟しなくてはならないでしょうね。

 

数日前に世話人会のお知らせのために周辺地域を廻りながら被害状況の有無についてさらっとお聞きしましたが、案外と身近なところでも被害があったことがわかりました。

静岡市清水区の有様は酷いの一言でしたが実は被害は軽重の差はあるものの広範囲に及んでいましたが相良周辺でもあちこちと傷んだ箇所が見受けられます。

「軽いからテレビの取材が来ないだけ」と皆が知らないその理由についてどなたかが話していました。

 

車両の浸水はやはり先日記した萩間川よりも上流部分(3つの小河川が合流して萩間川に)で車が浸水しての使用不能の件に茶業工場の高圧線引き込み分電盤に浸水して出火した件などの被災を新たにお聞きました。

後者の件「保険屋さんを呼んで折衝中」とのこと。

工場内部の機械は無事だったことは「良かった」と安堵していました。

 

ざっと車で走っていて「どうすんだよ・・・」と思ったのが、菅ケ谷川護岸の崩落部分の数々。その川は先日記した通り萩間川に合流します。

菅ケ谷は牧之原台地の先端、舌状大地の谷部を削る菅ケ谷川沿いにある集落ですがここ数年、常時といっていいほどそちらの川底を掘削する工事が行われていました。

そして今回の台風による異常出水によって(おそらく川底は上がり)左右護岸の一部崩落となっている状況を目にしました。

まぁ次の同等の水量には耐えられないのでは・・・と思うところ。

歴史的に見て「古い家」は谷の山腹に張り付くように家がある感ありますが近年、川沿いに住宅地が広がっていますからそういった家々は(護岸崩れによって)幅が広がり、底上げされたその川は相当のリスクを強めたように感じます。

 

先日は私がかつて観た映画「Cross of Iron (鉄十字勲章)」(「戦争のはらわた」)について記しましたがやはりドイツ軍人を主役にした映画がありましたね。そしてまた主人公の名が「シュタイナー」でした。

ヒトラーの右腕としてその信頼を得た軍人にもその名がありましたからドイツ軍人の名といえばそれなのでしょうかね。

日本語タイトルは「鷲は舞い降りた」で原題と同じ。

 

あまりにも「恰好イイ!!」とばかりに誘引されたものです。

まさにそれは「降臨」の如し。神がかっているを感じるタイトルでした。

まぁその内容については各おまかせいたします。

 

そこでこの「降臨」ですが岡崎本宿からさらに岡崎城方面に東海道を進むと名電中山駅が右手。その先の地名が「舞木」です。

その舞木の地名伝承が「神が舞い降りた」からだそう。

こちらはその山中駅の通り「山中」という地(山中城・・・)に隣接していますので私はてっきりその「山の神」が降臨しての地名と連想したものでした。

「ヤマ―カミ」という繋がりは日本人の心の奥底にある信仰の原点であるとも思います。

身近な山々にある神秘、それあってこそ仏の教えがスンナリと心に染み渡ったといっても過言ではないでしょう。

その頂点に立つ仏が阿弥陀如来なのですね(歎異抄七条)。

 

以前から岡崎方向に向かうにあたって左手に合掌風本堂が目に。気になっていましたので立ち寄ってお参りしたことがあります。

やはり大谷派のお寺、順念寺でした。

若手の住職がサイケで派手な画像を精力的にアップしていることがわかりました。

 

①山号は法隆山⑥の梵鐘鋳造期から戦時下に供出されたことを想像しますが詳細不明。⑧の墓石形状は三河の真宗寺院を歩いていると遭遇します(場所はこちら)。