阿弥陀さんの御恩 御恩と奉公 法行寺 お内陣 

毎日文句タラタラ、ブーっとしていると昨日は晴れ間が広がってくれました。

午前は法事につき、午後からは溜まった花ガラ(4袋)とゴミの処理ができて「あ~嬉しや・・・」。

適度に風も吹き、久々快適な一日を送ることができました。

おかげさまです。

 

法事に参集された皆さんから「5月に大谷祖廟に納骨に行ってきました」と。

東山にある高級な宿をとって一泊、比叡山や知恩院にもお参りに行ったそうですが、どちらも修学旅行生の集団で閉口させられたといいます。

「二条城なんて酷いもの」とまで。

外国人観光客がいない分マシとのことでしたが以前の如くに集団観光の襲来は戻っていたのですね。

 

当然の如く昨年の誰もいない東大寺行脚の件、自慢しておきました。あのようなチャンスは二度とないでしょう。

もっといろいろなところに行けば良かったと、またも後悔の念が沸き起こりました。

今一度「緊急事態宣言」を出してくれないかなぁ~・・・など。

 

拙寺はその大谷祖廟のバス遠足をこの秋に予定しています。

この7波の蔓延状況前、「どうなるのでしょうねぇ?」などと投げかけられることが多かったのですが、「錠剤のクスリが承認されるだろうから(大丈夫)」の軽口を叩いていました。

しかし昨晩その期待はクシャンという具合に叩きのめされてしまいました。

 

その薬を緊急承認制度にのっとって承認するかどうかの結論が「薬事分科会・医薬品第二部会」(18時から)で出ることになっていましたので、興味本位でその部会の流れを視聴していました。

こんなテキトーな討論(意見の言い合い)で薬の承認の可否が出るというところ、ただの「やった感」しか感じないところでしたが、後半になってから委員(各医者たち)の否定的意見が溢れて結局は「審議継続」で緊急承認は「ナシよ~」と相成りました。

先月も結論持ち越しでまたも決められない姿を見て、厚労省の間抜けぶりを確認させられました。

 

状況は爆発的感染者が溢れかえっている状況、コロナウィルスの治療とは関係ナイお医者殿があーでもないこーでもないの一般論のご披露でこうなったのでしたが、要は何かあったら「責任をとるのは御免だ」の発想でしょうね。

「決められない」の国民性なのかも知れませんが。

何のための緊急承認制度なのでしょう?

制度は決めても承認は「しない」ではなく「見送り」という態のいい言葉。要は承認しないのですがね。

まぁ、アメリカの製薬会社(他の国内製薬会社も)の、しがらみによってOKが出せないというか足の引っ張り合いなのか・・・つまらぬ日本的圧力とカネの匂いが当然にしてきますね。

 

バカなの?この国のやり方・・・というのが本音。

これからデタラメな感染者増になるでしょうがどう対処してくれるのでしょうかね。

感染症医療に関わる医者と小児科の先生だけ馬車馬のように働き、罹った人はその苦しみにのたうち回る。

死ぬ人は死ぬ。「死ね」とでも言っているのかな?

こうなったら「知ったこっちゃあない」ですね。

それがこの国のやり方なのですから。

下らないことばかりカンタンに決めて大事なことが決められない。アホ丸出し。

 

ただただ自分や家族が罹患しないように心がけるだけです。

私の友人の友人がその製薬会社で製薬の承認を目指して奮闘する中、過労で死したこともありますが、バス遠足再順延のおそれからやつ当たりの言葉を並べてしまいました。

再度の承認申請の機会は三相終了後ということで11月以降ですからね。「緊急性はナイ」ということの判断でもあり暢気な分科会のおしゃべり会。

 

ワクチンもそうですがコロナ治療はアメリカの薬限定ということに決まったということです。

まったく首を傾げることばかりで。

 

さて、親鸞聖人の正像末和讃の最後の和讃として有名なものが恩徳讃。当流ではそれに節をつけて法要の最後に歌われることがありますが、私は昔から自他ともに認める音痴で・・・。

それを皆さんで歌うことにかなり抵抗があったものです。

勿論学校等で他の強制されて歌わされる類のものと同様「口パク」にて過ごしたものです。

 

まぁ、その歌を歌う歌わないはともかくとして、真宗門徒がその恩徳を讃えることは当然の事。

その「恩」とは鎌倉時代の武士の「御恩と奉公」に似ています。

勿論その御恩とは阿弥陀如来一仏に向けたもので、奉公とはいわゆる「南無阿弥陀仏」の称名。御礼のこころ。

 

「かやうにやすくたすけまします 

    御ありがたさ 御うれしさを申す

          御礼のこころなり」(疫癘の御文)

 

そして三河武士団に流布していた真宗阿弥陀如来の御恩と殿(家康)への御恩(土地の安堵)の間に大混乱が生じたというのが三河一向一揆だったわけで。

今考えるとそもそも両立しうるテーマであって「うまいこと纏める」という意思さえあれば、あのような配下二分の殺し合いにまでは発展しなかったはずでしょう。あまりにも特異。

 

よって一揆は偶発的発生であってそれ故、収拾が早かったということですね。結果的に「雨降って地固まる」とはいうものの多くの死者を出したこと、家臣団のうち真宗を離れた家があったことは当流にとってはマイナスだったかと。

 

いずれにしろ当家では阿弥陀さんの御恩は勿論、家康の御恩、ご先祖さまの御恩も忘れ難いところ。

それに御門徒さまほかいたるところに「恩」しかありませんね。

これからも不平不満のボヤキを言いながらも「有難い 有難い」と過ごしていきたいものです。

 

 

画像は法行寺のお内陣。

拙寺との違いは余間が左右逆ということ。如来さん正面にして向かって右側に七高僧と聖徳太子ですね。よってあの厨子の中に太子像が納まっているかと。

また御簾が正面に掛かる様子は本願寺派に見えるところですが・・・。高貴な佇まい。一言で拙寺とちがってとても綺麗です。