石川台嶺殉教記念碑と西尾の女工哀史 吊魂碑

先日シニアカー(電動カート)を駆使して境内にお参りに来られる檀家さんの「入院」の件を記しましたが、詳しいその内容がわかりました。

昨日なんとなく先方の携帯電話を鳴らしてみたというわけですた。

 

筋力不足に至った原因はそのカート一本やりの生活であったことは違いないことですが、たまたま自宅で椅子に座る際にそのまま床に臀部から落ちてしまったよう。

その際「全身が動かなくなった」とのことです。

病状は「坐骨神経痛」。

「痛くて動けない」ということから2カ月弱の入院とリハビリ生活となったわけですが「何しろリハビリが辛い」と仰っていました。

 

リハビリの辛さ、苦しさは誰もが感じていることですし、その積み重ねをこなしていかないと、あとあと酷い不便の身となることは決まっていることですので「しっかりね・・・」と励ましました。

するとこれから墓参りは「墓近くの本堂脇までカートを乗り入れるのでヨロシク」と。

先般、それの進行を阻む大きなソテツの張り出し部分を伐っていますから何とかなるとは思いますが私としてはできるだけ「自分の足で」と思っていたところでしたのでその言には驚かされました。

え?と聞き返せば神経系の先生は「歩くな」とのお達しだとのこと。

 

筋力の維持と神経に障らないよう生活するは相反することだったのでした。筋肉の維持は大事ですが、「痛み」は避けたいところ。

まぁ「神経」の先生の主眼は患者の痛みの除去ですからね。

私の気持ちとしては少々の痛みは無視して筋力維持のための歩行を重点的に行って欲しいのですが。

 

さて、昨日の石川台嶺ですが、彼の不運は教義維持のために死したことになりますので、よくそういう場合に使用される「殉教」という語で形容がされます。

どちらかの方面でもよく言われる「自爆テロ」首謀者のことをそうも言いますから、今でいうとちょっとした違和感のある語彙とはなりましたが。

 

彼はあの高倉学寮での当流講義修練を経ての向学心、専らの真剣さも相まっての行動になりました。

ただあの大問題(大浜騒動の端緒)について「気合を入れて本意を聞きただそう」くらいの感覚で立ち上がったところに人々が集まりそれをただ先導しただけだったのですが、よりによってその行きがけに竹藪に入り竹やりを作って持ち出した者たちがいて先鋭化、そして偶発的な衝突に発展したということです。

小競り合いの中、相手方(刀を抜いたといいます)に死人が出てしまい大きく問題化したのでした。

 

結果その暴徒化誘因の責を取らされたということで、彼からすれば知らないところで行われていたこと(「不惜身命の赤心ヨリ事起り・・・」)でしょう。まさに彼の不関知「聞いてない・・・」ような話でした。

本意ではなくとも結果としてトップとしてあったということで責任を取らされたということですが、今風に言えば、戦争の主体となる人(戦争をしたがる指導者)というものは「事実・現実」にしばしば「私は知らない・指示していない」「やってない」、最近では「相手が仕組んだ偽装」「フェイクニュース」と逃げまくる姿を見せつけられていますので、その「責任」というものの重大性を感じます。

 

ここでまた一つ思うのが「武器を持てばそれを振り回したくなるというのが人の常」というところ。

やはり最近になって武力を持ちたがる方が増えていますが、それをやりだすとキリがないもの。

「常に相手の上を行く武力を持つこと」が命題になってしまいますので、永遠なる不毛の武器開発競争の連鎖となるのです。

 

石川台嶺の処刑場の跡地には「厳護法城」なる殉教碑とやはり西尾の悲哀の歴史、劣悪工場労務の寄宿舎に居た女工たちが焼死した事案を弔う「吊魂碑」が建っていて、亡くなった女工さんたちの法名が記されていました。

 

尚、「弔」と「吊」は同意。

西尾城の近く(場所はこちら)になります。