真邦のさらなる返歌 京の法海へ送る がつお氏サイト

昨日の雨中本堂もストーブなしでは居られないほどの低気温。

法事参列者もコート姿の出で立ち多数でした。

一昨日の春の法要の荘厳をそのままにしてのその翌日、やはり久しぶりに見るこのお姿をと奥方がスマホを向けていました①②。

 

少々嬉しかったのは今回の法要に合わせて作ったあの「スプリングボード」を「good job!!」と。

今のところ高評価。もっと早く気づけよ~です(15年かかりました・・・)。

 

それにしても大河ドラマはその視聴「そろそろ限界」感漂ってきています。歴史通の友人「奥の墓道」氏は「一応毎週録画しているが、一度も視たことが無い」と。理由は拙ブログでも記していますが「脚本がオチャラケと創作が酷い」というところです。

既に「歴史を表にしながらただのバラエティホームドラマ」にお付き合いできない頃合いとなりましたが(ジジイには付いていけない・・・)、ちょうど木曽殿登場とあってもう少し我慢することに。

「キャラ演出はどうよ・・・」(墓道氏)というところですが頼朝、義経のおバカキャラとは別格、渋く描かれていました。

要は「チャラくない」ということで、あと数回はお付き合いするつもり。

 

さて、昨日の法海と真邦の歌が記された軸の裏には今一つ真邦の歌が記されていました。小島蕉園の「大澤寺八景」のスグあとです。

それが・・・

 

御池に梨の実 奉ら禮し(れし)と 聞て

 「聞われも  

  なみたこほ(ぼ)しつ

  池水能(の)

  ふか幾

  散(さ)ミしく ま水つへ

              真邦」

右和歌一首翌年 京都講師江送ル

          當山九世 祐厳書之

 

です。祐厳の転記ミスもあるようですが・・・修正済。

 

また「とも」氏より真邦の歌「淡海の池へ梨子を献せし水へと消えて」の歌があることを紹介いただきました。

やはり「梨」は阿闍梨にかけていたという推測は正しかったとだいたい判ってきました。また桜ケ池を「淡海」とも。

 

法海ら3人が旅の途中、京都への帰り途に立ち寄ったのか、相良の当山に滞留している間その余暇の事だったかはわかりませんが桜ケ池の真邦に面談、阿闍梨への参拝を行い、真邦と法海の間で和歌のやり取りがあった事を記しました。

その時法海らが池に梨を投じたことに関して真邦があとから知ったのか、おそらく彼らが京都への出立したあとに真邦はあらためてその返歌を拙寺九代祐厳に届けたということでしょうね。

それを祐厳がつぎの年(天保二1831)に京都の法海に送ったことが記されていました。

 

そして寛政譜他の便利グッズを提供いただいているあの「がつお」氏のサイトリンク先を変更しています。

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