巧者の大将と申は 一度大事の後に 合たるを申べく候

プーチンは「戦争犯罪人」「真の悪党」「人殺しの独裁者」の罵りの言葉のオンパレードは米国バイデン大統領から。

プーチンはそのレッテルを貼られたことにカンカンになって反論していたようですがもはやその言葉の羅列について真っ向から否定できる人は世界中を見てそうはいないでしょう。

やらかしたことからの数々、何を罵倒されようがその反論は空しさ以外の何物でもありません。

 

そのバイデンの罵りについて反意を示すのは一部の親ロシア国家の元首とロシアのプロパガンダに疑う気持ちが起こらなかったそれらの国の人々。

国によって情報統制がされていれば国民は「真実」を知りえませんのでそれもまた気の毒なことではありますが。

 

ロシアの政府系放送局であの行動に至った方は、その情報をコントロールして配信する側でしたから、「すべてのこと」を承知しているという立場。

まぁ人間として「やってられない!!」と誠実な立ち位置を求めたことの結果だったのでしょう。

 

亡命はせずにロシアに残ると表明していましたが、将に腹が座った人です。

プーチン政権にとっては逆に国外に行ってもらった方が良かったでしょうね。「事件」はロシアの国民も承知していることですし世界中がそこを見ています。

 

ロシアは今回の「デフォルト危機」をとりあえずはドル建て支払いによって回避できたようですがいずれおカネは底をつくはずですからね。次の支払い期限を待ちましょう。

その前にベラルーシの大統領がその番犬の如くプーチンロシア絶賛の声をあげていますが、その国もこれから国債利子などの償還期限を迎えるといいますね。

こっちが先に「飛ぶ」可能性があります。

その国民の生活はロシア同様「物不足」と「超インフレ」による困窮に繋がるわけで、国民の政府への反感は盛り上がるでしょうね。

こうなったらベラルーシの大統領も追っ払えれば世界はより良くなりそうな気が・・・所詮プーチンの犬ですから。

 

「犬」といえば朝倉教景(宗滴)の

「武者は犬ともいへ   畜生ともいへ   勝つことが本にて候」

という言葉があります。

 

それには「勝つ」ことのみに突進する野獣を思いますがそれは所謂頭で考えられない「バカ」のこと。

 

まぁ宗滴は武士というものの性質上の限界とその儚さを一言で表したのでしょう。

かつてプーチンに尻尾を振っておべっか使いの態を見せた本邦アベのマスクなどの「小犬」もいましたがそれとはレベル別物です。

 

現状のウクライナ侵攻のロシア地上部隊は膠着状態の戦意喪失という報道があります。

ウクライナの地は先日の「ひまわり」同様ロシア人の墓場、火葬場になりつつあるようでもあります。

 

家康の場合はプーチンの如く家臣たちを犬死させようなどという気持ちありません。

あの失敗(三方ヶ原)があってそれを学んだのですね。

 

「宝の中の宝といふは 人材にしくはなし」と。

信玄にも同じように家臣を大切にしようとする言葉がありましたね。「人は城・・・」

 

また宗滴は

「巧者の大将と申は 

 一度(ひとたびの)大事の後(だいじのおくれ)に合たるを

                       申べく候」

 

とも。

「一度は大失敗にあうこと」が「巧者の大将」であると。

大失敗してもそれを生かせれば次のステップに繋がるということですね。

私もやはり失敗の数は多いものがありますが、その傷み痛みは血となり肉となりの感ありますからね。痛みの経験です。

失敗しても挫けない気概も大切です。

 

そうは言っても朝倉の宗家は滅亡の憂き目に「合って」いますが・・・。

人間世界、何から何まで自分の思い通りになどいくワケがない、ただそれだけはわかります。

 

そんなことをだらだら記していると季節がら一乗谷のシダレが思い浮かんできました。

「また行きたい」の気持ち膨らみますね。

 

しかしながら今回のプーチンの大敗北はその未来はないと踏んでます。

というか当人は何があっても「勝った勝った」を吹聴するのでしょうがね。そこまで醜態を晒すというのも凄いといっちゃあスゴイ人物です。

 

さて昨日は本年二度目の慈悲尾。

静岡市内在住の方ならどなたでも知っている地名ですが、やはり難読地名ですね。

「しいのお」と呼ぶ葬祭場と火葬場のある地域。

もとは近くの増善寺の昔の名前「慈悲寺」からでしょうか。

その辺り私は詳しく知りませんが、あの安倍城の東の下、安倍川との間の狭地ということになります。

当地ののんびりしたものとは違う「静岡シバリ」の法要となります。

東京あたりよりはマシですが・・・。

 

たまたまなのかそちらのホールではおせち料理を今年あたりから手掛けるようになったようで、それをお土産にいただきました。

「いただきま~す」とばかりに合掌しながら喜んで持ち帰りましたが開けてびっくり。

いまだかつてこの手の豪華なお弁当・・・おせち料理を食べたこともありません。普通はかんぴょうののり巻といなり寿司が主ですからね。

 

世の中でその日の食の手配すら困っている方がいる中、これほどの贅沢品をいとも簡単に「ハイ」とばかりに頂けるとは・・・

「驕り」が発する贅沢品。心戒めるべき。

 

とはいえ仏飯ご縁として謙虚にかしこまっていただきます。

3日くらいかけて・・・

あまりに美しい絵に思わずそれをUPしてしまいました。

本日も南無阿弥陀仏。