フロはムロの転訛 登屋ヶ根城北 フロノ下猪垣 

東京のこととはいえ昨日も「日曜で過去最高」(17526人)と。

日曜日のそれというのはその週に結構に増えてくるというのはこれまでの経験則。

ちょっと前には「そろそろピークアウト」の声が上がっていましたがそれってただの楽観論、希望的軽口だったのでしょうかね。

 

「ピークアウト」のアナウンスは「山の頂が近い」の吹聴。

8~9合目に辿り着いたので「あと少しの我慢」そしてそれにはピークを迎えればこれまで通りの元の生活、経済活動に戻れますよ・・・の意が含まれていますが、まぁ海外の様子といえば「ピークアウト」を思わす感染者数の頭打ちが見られます。

 

その辺りから「日本も同じ様に」という発想が生まれるのでしょうが、マスコミもそうですがそれを国民に推測、浸透させるのは「まだ早い」の一言でした。

人は期待として「正常性」を求めて心を傾ける生き物ですからそれは大いに大衆にとって緩みをもたらす引金になったのでしょうね。

 

ソーリのキッシー、なんだか最近雲隠れとのこと。

ここのところまともな記者会見を開いていないそうですが、当初の威勢のいいアナウンスとは違うようで。

隠れたくなる気持ちは大いにわかりますがね・・・

 

それは90代の母親を亡くして自暴自棄になって医師に無理難題を要求した挙句、猟銃をぶっ放したという前代未聞のあのたてこもり犯の気持ちを汲むのと同じかも知れません。

人という生き物は人それぞれで「違う」もの。

少なくとも私が「けしからん」とは言い切れないものがあります。

ただし後者は法的に殺人罪という問答無用というべき重大事件でした。

しかしながら政治の遅延とか不作為によって「間に合わない」と・・・死んでいった国民の多数にはどういう言葉を用意しているのでしょうか。

多分いつもの保身の言い訳でしょうね。

 

経済界を敵に回したくない、嫌われたくないというのが政治屋の常。経済界と医療界(国民の健全)の板挟みの様の如くで、それはそもそも根本的に同じ天秤の上で計ることなどできないものですよねぇ。

 

私が思うにその大事な経済とやら・・・「完全に」元に戻るなどまったく期待していませんし、相当疑いの目で見ていますが。

経済どころではない、多くの難題があとからあとから湧き出てくるような気がして・・・

このコロナも「只今変異進行中」と聞きますしこれからずっとその変異の登場に度々付き合っていかなくてはならないかも。

気持ちとしては・・・「どうでもいいや・・・」の投げ、ですがね。

 

さて、長沢の特異の様、境界の石積み(昨日ブログ)ですが、まさにその囲いについてしっかりと名称のある場所があります。

先日は聖徳太子伝承の古道、子渡井の枡井戸について記しましたがそちらは音羽川に沿って長沢の街区に下りてきた道。

降り切ったところを小沢川の合流がありますがそそちらから左方向に向かうと番場なる字に。

昨日の登屋ケ根城の東端を右手にその川沿いに進むと妙な石積みの囲いが目に入ってきます(場所はこちら)。

 

 

登屋ケ根城(番場の城とも)がスグ北側にあつて、城郭の遺構の如くに石積みがありますので、その「猪垣」の語は少々驚きやらガッカリやら。

ということでとりあえず納得。

この辺りの石積みは江戸期当たりの流行のようですがこれはやはり豊富な石材とかつての城塞石塁の延長のような気がして。

 

なおこの「フロノ下」なる語ですが、私の勝手な推測をすれば「フ」そのもののイメージとしては「フケ」や「深田」。

やはりこちらは一番低い場所、谷部になります。

以前その件松本城のところで記しました。

そして「フロ」は「ムロ」の転訛説があり「ムロ」は石室、洞窟座などの修業の場となります。

「籠る」という意味も考えて城-寺-神社がその「上」にある地形からの名称かと思ったところ。

尚、この城址よりさらに北側に古くからある赤石神社が。

 

画像⑦⑧は城址搦手⑨を出たところから見た図。

(当時の東海道側を大手と考えて)