「市場」とはひのきの大樹林立する宮山前 古宮城

昨日午前中は浜岡の叔母の家に向かって冷蔵庫を運び出しました。ダメ元で自宅のネコ部屋の隣(殆ど屋根付きながら外)に置きましたがそれは奥方の趣味(にんにく貯蔵庫)のためです。

横に倒して運びましたのでまだ電源を入れていませんが。

 

そして午後は2回目のファイザー。

面倒なことですが接種して15分は直後の経過を見るために医院に大人しくしていなければなりませんのでその「15分」、限りなく苦痛です。

何度「もう帰っていい?」と聞こうと思ったことか。

そのあと各自をタイマーで管理していることが判明し、「我慢して良かった」と安堵しました。恥ずかしいですからね。

 

見ていると人によってその経過観察時間が違っていて「30分」という人が多いですね。アレルギーや他に疾患のある人はその時間が必要のようです。

私にとっては性格上その30分は地獄です。

 

本当のところ、一番じっとしていられない気持ちになるのはあの空間に長居することそのもの。

気持ちが不安定になるのはやはり空気の流ればかり気にすること・・・他の接種の人たち(その時間帯は6人)が一緒に待機していますからね。

なにしろ先生と看護婦さんがゴム手袋とマスク+顔面を覆う透明のガードの重装備で裏口から出ていく姿を目の当たりにしていたこともありました。

 

15分が経って真っ先に外に出ると外にある車庫-急造の発熱外来診療所-で先ほど重装備で出て行った先生方が、一人の女性に対応していました。

きっと「PCR検査」でしょうね。翌日の感染者としてカウントされるのか少々気になるところ。

早々に逃げるように帰宅しました。

 

夜間はいつもの秋野氏にその番組の存在を教えて頂いたのですが、NHK「英雄たちの選択」を視聴しました。今回は田沼意次。冒頭画面から知った顔が出てきて「へぇー」でした。

朝方には史跡研究会の一斉lineにて「念のため」とお知らせしましたが、他にも「知らなかった」という方も。

内容はともあれ、あれを見落としてしまうのは、次の皆さんとのお話に繋がりませんからね。

情報を得られることはまさに武器になります。

 

そのあとはNHKの「歴史探偵」桶狭間の戦いの新説・・・

清州城での発掘調査からの遺物から読み解く鍛冶屋の招へいの件、やはり武器の調整。戦いには欠かせません。

 

また272人の近江六角氏からの桶狭間への援軍の存在。

六角義賢の文書「屹度尾州馳走」(「必ず織田に援軍せよ」)なども新事実。驚きました。

そもそも桶狭間は信長の情報戦の勝利でもありましたね。

 

地元のニュースです。

先週も県の方で緑茶の成分が新コロの抑制効果があるのかないのかについての研究論議がなされているところが報じられていましたが、数日前にも一歩踏み込んだ研究成果が発せられていました。

 

そういったシンポジウムが菊川市で開催されたそうで、6日には京都府立医科大学の教授がオンライン講演。

人への効果は臨床研究で今後明らかにすると前置きした上で、「試験管内で唾液に新型コロナウイルスを加え緑茶や紅茶で10秒間処理すると・・・『ウイルスは強く抑制』」とのこと。

それはあくまでも治療の効果ではなく予防の一つということで。

どちらにしろその発信は、有難く思うばかり。

先日は法事の際、各家庭で出されるお茶を「はたしてマスクを外して・・・など」と疑心暗鬼でそれを頂戴している私があることを記しましたが、これにより喉の具合を整えながらウィルスの侵入を防げるという一石二鳥のアイテムを確信、心強く感じるばかりです。

 

「10秒間」とのことですから、ゆっくりと口の中いっぱいに含ませるように胃の中に押し込んであとは胃液にバトンタッチするという感じでしょうか。大いなる身を守る武器であったということで・・・。

あとはお茶を飲む頻度と日々免疫力を落とさないよう心掛けることですね。

 

さて、本日も作手。

昨日は城塞のような甘泉寺の鳥居強右衛門夫妻の墓について記しました。

そこでは彼の妻、寿姿妙善信女が作手の「市場」の生まれということも。

「市場」なる地名は各地に点在するのですが、まずはその名の通り「市」が開かれたから・・・に相違ありません。

 

市が開かれる場と言えばまずは街道筋の交差点近くで寺か神社というのがベストです。人が集まり易くなくては市になりませんからね。

 

甘泉寺の様子を見て城塞を思わす・・・と記したのは、なにしろこのあたりには他にも城塞が多く散見できるからですが(→川尻城などなど)、私が思うその「市場」とはその甘泉寺の台地前にある神社「白鳥神社」なる名称と同じ名の白鳥神社がある単一丘陵の「宮山」の前です①②画像。

 

豊川と恵那信州方面を繋ぐ南北の街道と東西方向の西に岡崎、東には設楽田峯(1  2  3  4  )または長篠方向に南下できる道が重なる場所と言う感じ。

 

勝商の奥さんはこの「市場」なる地で生まれたと思うのがスンナリきますね。

尚、こちらの山が武田の城塞「古宮城」(「古宮」は同じ「白鳥神社」の「古い方」を推測します)ということになりますが、先日の甘泉寺同様、ひのきの大木と木々が迎えてくれます。

 

あのような大木と出会うと特に深く敬礼し尊ぶべきものと口を開けながらも見上げます。

彼が何百年も前から我々人間どもの浅ましさを黙って見つめていることを思うと、羞恥の気持ちも沸き起こります。

とにもかくにもあの空気の中ではコロナなど異次元のものと化すことができましょう。

 

何よりの生きるための「武器」「防衛手段」そして心の安らぎ・・・自然の美しさと空気のうまさがここにありました(場所はこちら)。