天平期の東大寺法華堂の存在 木造建造物維持の奇特

昨日法事は10時にご門徒さんご自宅のお内仏からスタート。

そこで提案、雨が降り出さない今のうちに「山の墓地」に参って墓参りを先に済ませましょう・・・です。本堂の本法要と順序を逆にするパターンですね。

昼近くの降雨予報がありましたのであの足元の悪い墓地での最悪コンディションは避けたいという意図です。

 

すると予想もその判断も適正でした。

本堂での法要の終了間際になって最近にはないような酷い土砂降りとなりました。

あまりに激しく降って本堂から駐車場に行くのも躊躇するほど。また、一向に小降りになる気配はなし。

 

すると駐車場までの傘を所望されたので、再び私の提案。

当方軽自動車をバックで本堂正面の庇の下に入れ、駐車場まで送るという作戦です。

後席からならば雨に濡れずに乗車が可能です。

黒衣と足袋は脱ぎ捨て、白衣と草履履き。3往復して何とか無事に終了しました。

 

法事の降雨というのは施主としては辛いものがありますね。

墓参などは焼香もできやしませんから。

ちなみに納骨の予定があった場合などこれまで3回ほど近親者のみで日を改めて行ったことがあります。

それまでの間、本堂余間へ預かるということで法要に続けて納骨の読経をするという策。

 

昨日もざっと顔ぶれを見てお国ほか行政が自粛を求めている越境についてあったことは承知しています。

 

何度も記していますが日本の風習「お盆」は現代人の帰郷へのこだわりですからね。お寺からそれについて何も言えません。

そして何よりタイムリーにも「不要不急の判断は各自の問題」とのお墨付き(五輪相)がありましたのでその件皆さんの「勝手」ということになりましょう。

お盆休みに「さぁどうする」と迷っていた人たちの尻腰を大いに押してくれる大儀を提供くださったということですね。

 

トーキョーは4989人の感染者。そのうち重症患者218人。

デルタの勢いが止まりませんね。

そして静岡の354人始め「全国過去最多」や「更新」「〇〇日連続」の語が並んでいました。沖縄も無茶苦茶の様ですね。

知り合いに連絡してみたいとも思いましたが、やめておきました。ここ牧之原は2~3日おきに1名の感染者が出ていますが他所からすれば相当お気楽な地ですから。

 

「制御不能」の「なすすべなし」のことばは分科会等疫癘コントローラーの立場の人たちからの声も聞こえてきて、「行きつくところまで行ってしまう」の感。

まったく未知の世界に突進しているという状況なのですが「なすすべ」って本当にナイの?というのが庶民の気持ち。

真っ先にその語に反論したくなりますが・・・

「そもそも これまで何かやってきたの?」です。

この国はまともな対策について何らの動きも見せてこなかったクセに。

 

無症状感染者の洗い出しに「検査を充実させろ」など1年以上も前からあったのに、それへの対応らしき対応は全くナシで民間任せ。

やったことといえばあの「用ナシ」アベノマスクを配ったことくらいですかね。大層な予算をかけて・・・

 

神戸の医師だったと思いますが、抗原検査やイベルメクチンを配るなど「今やるべきこと・・・はある」と仰っていました。

それでもできないんですよね

 

基本的に何かやろうとする時は何事も役人根性丸出しのブレーンたちの意見を聞いての行動となりますので、新しい発想ができないのですね。

ガースーの広島での挨拶、下書きの読み飛ばしなどもいい例でしょう。自分の「言葉ではナイ」をあらためて証明したようなもの。これまでの政(まつりごと)もすべてそうだったのでしょうね。

だれだってソーリができる・・・過言ではナイかも。

 

あのマスク配布によってこれまでのすべてがわかったような気がしました。

ということでそのマスクレベルのお頭しかないということから、今後のコロナ感染の抑止については自然収束にまかせる他はないような。「お手上げ」とのことですから。

「なすすべがナイ」というならばコロナにまかせるということに他ならないこと。

結局ワクチンが間に合わなかったのですがおそらくそれも頭の中にあっての五輪開催だったのでしょうね。

ただ漠然と「何とかなるだろう」の曖昧な思い。儚い希望でした。「やればできる」・・・?

 

今回の波をうまいことやり過ごせたとしても次に控えている「ラムダ株」に市中置き変われば次の山は如何ほどまで爆発するのでしょうかね。

おバカな政策担当者殿にかかわっている庶民は辛いね。

 

さて本日は先日の二月堂の景色に次いで法華堂(三月堂)を。

二月堂の真下、見下ろされる位置になりますが、この堂が東大寺最古、天平期の建造物になります。信じられないほど古い!!

正面の重文指定の石燈籠は建長六年1254「伊行末」の銘。

仏像たちは東大寺ミュージアムに。

 

①は南を向いた正面でその裏側が二月堂。

大仏殿から上がっていくと⑤の画像となります。

あの時も直射日光強く、鹿たちは日陰で待機しつつも客はナシ。

⑥がミュージアムの前。画像左になります。