「浄土真宗最初門」金戒光明寺山門 以前は色々あった

昨日も当地は天候に恵まれましたが、境内の仕事はサボって私は奥方と浜松方面所要の運転手

一般道の往復でしたが行きも帰りも五輪のイベントらしき何かの交通集中にぶつかって思わず舌打ちをしている自分がありました。

道路規制している担当の皆さんには「お仕事大変」とは思うところもありますが、同時に「やれやれ・・・」「ツイテない」「邪魔くさい」「面倒」「ここから早いところ離れたい」「関わりたくない」の気持ちが大部分。

まぁ大したことにはなっていませんでしたが。

 

「オリンピックは特別」という政府の見解からその意が大手を振っているところ、見てとれますが、まぁ一言で「なんでもアリ」「オールOK」の、なし崩しのイイ加減。

「やっぱやめる」という感じであの件、一晩で当初の大無茶の決定を元に戻していましたね。

 

「五輪会場はお酒の販売OK!!」のアナウンスがあったのでしたがさすがにそれはマズイと修正してきたところでしょう。

市中「アルコール禁止」のお触れが下々に刷り込まれそれが継続している中、この「五輪特別」の差配には皆の怒りがこみ上げてくるのは当然でしょう。

その撤回を早々に決めたことはまだマシというところですが、そもそもそのえげつない特別ルールを掲げるに及んだ図々しさは呆れるばかり。

 

外堀を埋めた(五輪はヤル)らイケイケどんどん(観客アリ)のやりたい放題のなし崩しといった強硬突破の感覚がイヤですね。

もっともスポンサーである酒類メーカーから「やめた方がいい」とのご注進があったからその今回の中止に至ったといいます。メーカーの意見こそごくまともでした。

 

もし会場でそちらのメーカーの品が大手を振って売られていればメーカーそのものへのイメージがダウンするでしょうし、怒りの矛先が向かうかも知れませんからね。

それがきっかけで「コロナ感染再爆発」など言われたらお話にならないでしょう。

お調子にのってずっぼりと関われば酷い目に合うかもしれない・・・それもリスク管理の一つでした。

 

海外の特別来賓者はガッカリの様ですがいずれにせよ私には関りがないところ。どうでもいいような話で・・・。

要は五輪運営者の良識です。責任者が不在というのは腑に落ちませんね。

どなたも「私の責任はナイ」-無責任-の示唆ばかりで。

 

さて、昨日は江戸期「一向宗」の名について当流の希望ではなかったこと「浄土真宗」の名を使いたいという主旨の書面を紹介しました。 

暦十年1760の書面ですから拙寺住職はといえばやはり七代の祐信です。

 

私はお咎めが怖いと記したのはその件、殆ど大御所(家康)からの意向の如くでそれを上申することはその反意にも通じ、禁忌であると感じましたから。

 

江戸初期のころの宗教統制の一環である「本末制度」の制定があって「〇〇宗 本山○○の末寺○○」と寺をわかりやすく固定させましたので各お寺もハッキリと名のらなくてはならなくなりました。当流では「一向宗」でした。

 

勿論お上(幕府)の意向ですからそれに従うほかはありません。その「固定」はこれまで拙ブログにて記した通り一方的な感覚、イメージと混同であってその名称をいやいやながら(一向宗)名のったことがわかったワケですが(昨日)、やはり基本、三河時代の家康が「一向一揆」といわれる本願寺系の門信徒と家臣たちに苦汁を飲まされたことと、家康が菩提寺を浄土宗としたことが大きいでしょう。

 

七代祐信がお上に「おそれながら」とその件申したことの今一つの驚きは宝暦十年1760ということ。

本願寺教団が統一して「浄土真宗」を宗派名称とするよう意見書を幕府に送ったのが安永三年1774といいますから祐信の上申の方が14年も早かったというところ。

 

大きな本山系の寺たちがまとまってそれを言ってもどうにもならなかったことではありますが、祐信の意見書の提出については私の方もまた恐れ入ってしまいます。

 

幕府が徳川家菩提寺である浄土宗に気をつかっていた通り、浄土宗側としてもその「浄土真宗」の使用に対してかなりの抵抗があったのも事実。

要は「浄土真宗を名のれるのは浄土宗だけ」という主張でしたが、古くからその論はあって正長元年1428に後小松天皇が金戒光明寺山門に「浄土真宗最初門」の勅額を掲げさせていて現在もそれが見られるということは歴史の面白さ。

 

のちにその件は江戸期になっても後を引き未解決。

結局、明治になっての政府の廃仏毀釈失策のドサクサで真宗呼びを認めてもらったという経緯がありました。

 

その段階で特に思う、お西とお東の呼び名の紛らわしさ、お西が浄土真宗本願寺派、お東が真宗大谷派が出来上がったのでした。

お西は「浄土真宗」にこだわり、お東は「浄土」を省いて「真宗」を冠にしたわけですね。

お西のこだわりは気概があってスバラシイ。

浄土宗といえば御開祖親鸞さんの師匠法然さん・・・といったイメージになりますが、以前と言えば相当のいざこざがあったのでした。

 

画像は金戒光明寺の山門。

以前ブログでは五劫思惟像について記しました。東本願寺岡崎別院の北側になります。

最後の画像は山門裏側から見下ろした図ですが右に京都タワーが見えます。