看護師たちの限界線 五輪と政治に追われて 宝泉寺

叔母がお世話になっている施設から連絡がありました。

コロナワクチンの1回目が終わって副反応はない・・・とのことであい変わらず「帰りたい」を連呼しながら元気にしているとのこと。

しかし、軟禁状態になっていて活発に何処かに行くでもないお年寄りたちにまずワクチンを・・・という策はやはり順序が違うよう思います。

 

まず第一にといえば医療従事者そして介護職員、各施設の管理者の順序でしょう。それから社会活動度の高い若い世代ですね。

何故にして医療従事者への接種が100%行き渡らないのにも関わらずそちらになるのか理由を知りたい。

それでいて病床逼迫の大阪あたりでは年齢によって治療を放棄されてしまうトリアージ(・・・患者の選別  後回し・・・自宅療養 ホテル療養)が行われているとも。 

病床数世界トップを誇る日本のコロナ対応として耳を疑いたくなります。

 

病院がコロナ患者を受け入れると病院の経営体力が落ちるといいます。自治体からコロナ患者をたくさん受け入れるようにせっつかれ、コロナ患者の受け入れを増やせば増やすほど経営を圧迫するようです。

民は「御都合主義の衆愚」であってその受け入れを承諾した病院には行かなくなります。

「コロナを貰ってはかなわん・・・」とばかりに病気になったとしてもコロナの受け入れをしていない病院を選ぶ傾向があります。

そもそもコロナ患者の受け入れはリスクとその対応の手間ばかりがかかって病院の経営努力だけではもはや届かないレベルにあるよう。

 

1年以上にわたってその状況が変えられない政治力とはいったい何だったのでしょう。経済活動の偏重そして医療現場の声を聞かずまた薬事行政の怠慢による咎は「国民の弱いところ」が負っていくのでしょうね。

先日は渋谷のバス停で撲殺されたホームレスの女性にスポットを当てたNHKの番組を視聴しました。

その方はスーパーマーケットの試食担当のパートの仕事をしていたそうです。

このコロナ禍に離職することになったのはスーパーの試食コーナーが感染予防から撤去されたからだといいます。

その後アパートの家賃の支払いができず、路上生活者にまで落ちてしまったその結果がそれでした。

今、その事件こそ「わたしのこと」と切実を感じた若者たちによる路上生活者への声掛けが始まったといいます。

 

昨日はクルーズ船の件、乗船回遊2~3日目にコロナ陽性者発生によって中止帰港となったことなどが伝えられていましたが、その乗船客の言葉が「ステーキもアワビも絶妙、お酒も飲み放題」「最高だったのに・・・」の残念の声を放つ人を見ましたがこの現実のギャップというものについて「お前の理解度如何に・・・」と自身投げかけられたように感じました。

 

私は黙っていれば食事にありつける日々、感謝が足りていませんね。まぁ「飲み放題」に歓びを得るワケではありませんが。

またこの時節、クルーズ船稼業が成立していることには驚きでした。お客が集まってそのサービスが出来得るということですがお客といえば新コロのリスクは棚の上において「私は大丈夫」基本の行動規範ですからね。

大層なお金持ちによるノー天気なのでしょうが。

 

まぁその手の感覚は私にも少なからずあって、たまたまここ相良のド田舎に居て多くの時間を自坊で過ごしている故にその感染を免れているのでしょうが、私もちょろちょろとあっちこっちに行くときは行っていましたからね。

それはいつもの運・不運のおかげでしょう。たまたま。

 

しかし今の観光地の人混みは異常。

朝の番組で「バーベキュー禁止」にした河川敷に入り込みそれを行う輩に注意をし「逆切れ」されていた様子を拝見しましたが、ついついこういう連中が今「コロナに罹ってしまっているのでは・・・」などと偏見が。

イケないこととは思いつつ、そしてその人たちがコロナに罹った場合、やはりICUの酸素吸入器やエクモに繋がれながら「後悔」の一念が思い起こされるものか・・・などとも考えてしまいます。

後悔したとしても亡くなってしまえば空しいことですが。

 

そういう方々(高慢ちきそして「基本 自分本位」の人)にはまず修正して人生を送るために病院に入院することをお勧めしますよ。

病床で頭を冷やすことは案外有意義。

あそこに運び込まれて(先日)思うことは(私の如き者であったとしても)老若男女「人の命」に真摯に向かってくれているということ。まさに感動を得ます。

 

ちなみに「記憶がない」に続いて政治家かやはりよく使いたがるその「真摯に」とは意味がまったく違いますね。

看護師から受けるそれは相手の精神的な安定を維持しつつ快方の途を探っていく深い熱意を手に取るように感じます。

対するものが「命」ですからすべての行為が軽くないのですよ。

政治家のそれは自身保持のための言い訳の常套句でした。

 

あと一つ先般視聴したNスぺの件。

「看護師たちの限界線」という番組でした。

拙ブログでも、五輪ヤルので介護士「500人タノム」の件、おかしな話だとチラッと記しましたが、今「#看護師の五輪派遣は困ります」と Twitterでその訴えが広がっているといいます。

 

「患者を守ることに必死で五輪どころでない」というのがその意ですが、私も大いに賛同したいところ。

よく聞けばその医療従事者たちは無報酬、ボランティア。

専門家が言っていましたが他に医師が200人募集し、おそらく看護師は500人では済まないと。

 

ガースーは「休んでいる看護師がいるから可能」と言い放ったそうですがそのNHKの番組を視ることをお薦めしますよ。

サブタイトルの〜密着 新型コロナ集中治療室〜の通り、ICUに詰めた若い看護師の汗みどろの精神的肉体的苦痛伴う日々と苦渋の決断について密着したものでした。

筆舌に尽くしがたいコロナの最前線で奮闘する彼女たちに感動を覚えない人はいないのでは・・・(まともなお頭の人ならば・・・)

 

体調を壊してシフトに穴を空けてしまい、また心身ともに疲れ果てて仕事を休んだり辞めることになってしまった際「本当にごめんなさい」の声とそれを認めなくてはならない残された看護師たちの思い、両方とも痛いほどよくわかりました。

 

その馬車馬の如く仕事を全うしている看護師たちの給料も賞与もそれでいて減額されてしまっているというその大矛盾。

病院側の経営状態がワルイということからですがこれもまたおかしな話です。

オリンピック話で名誉を目論む輩に一稼ぎしている連中もいれば、コロナ禍お構いなしでハメを外してコロナになっている輩もいるなか、お国はどうしてこちらに手厚い補償ができないのでしょう。謎の中の謎です。

自国民を守ることはまず病院を守ること。今はより一層それを思うようになりました。

 

しかし今に病院が機能しなくなりますよ。

大阪、北海道がその道を走っていますが東京もそろそろ怪しいレベル。

マラソンのテスト大会を強行する札幌とあの繁華街、観光地の人出を見て看護師たちはどう思うのでしょう。

 

諸仏はどう見てる?

画像は波津区管理の旧宝泉寺本尊だった釈迦如来坐像。

史料館長谷川氏の紹介文を転記すると・・・

「低い肉髻、剃りぬかれていない耳朶、腹部の裙(下半身に巻いた布)、楕円形の衣紋など、中国明清時代の受けた形式(黄檗様)が見られる。」

脇は向って左が阿南、右が迦葉との推測。

黄檗宗は禅宗でも大名等セレブの有徳人のバックアップによって経営されていたため、明治の廃仏毀釈のダメージは絶大で当宝泉寺も真っ先に廃寺になりました。

廃寺になった後は石坂周造が入ったこと、鉄舟、泥舟の往来があったことなどを以前記しました。

③は宝泉寺の結界石。