北条家金沢流 金沢顕時・貞顕五輪塔墓域 称名寺

それにしても「東京に来ないで」のあの知事の言には「カチン」と来させられました。「なんのこっちゃあ・・・」ですよ。

どういう角度からそれを解釈しようもトップとしてまともとは言えないような発言。「緊急事態」のイメージ演出としても変てこです。

 

もし、それを私らに向けて言っているとしたら(当然にそう捉えられても仕方なし)、「そりゃあこっちの台詞」と言い返してやりたくなります。

東京人と東京以外の人との間に軋轢を生じさせてしまうよう無謀な詞で幼さをも露呈させましたが、言わせていただければそもそもこのコロナ禍の発生源はトーキョーであって(断定しちゃいます)、その対応にオリンピックやりたしんぼのお友達や政府とモタモタを競っていたのですから。

コロナパンデミック、その元凶こそが知事さん、貴女でしょうよ。

手が付けられないアホ。その大好きな「オリンピック」って確か東京でヤルと聞いていますがね・・・。

 

そしてまぁ、昨日は南方の生き物の北上について記しましたが今南方海上にいて北上の途にあるのが台風2号。

数年間沖縄にてお世話になったことから、台風に注意が向いて警戒するという習慣が消ないからですが、如何にもその発生も北上も早すぎます。

この時期にたとえ発生したとしても西に進路を取って温帯低気圧に変わり、日本列島に影響をもたらさないというのが常ですがここでも地球がぶっ壊れている・・・を感じます。

それもこの台風の勢力がスゴイ。昨日は895ヘクトパスカルという数字を見ました。

まさかそのままの勢力で北に上がってくるとは思えませんが赤道上はかなりホットであることがわかります。

もしや勢力を落とさず日本列島をかすめたり直撃したら強烈な災難となりますね。

春の嵐ならぬ春台風などいう新語もできたりして・・・

台風対策は本当にクサクサしますのでそれこそ「静岡に来ないで」です。

 

大阪は相変わらずで昨日は1220人。

源実朝の暗殺が1219年で承久の変が1221年。その間ということですね。

日曜日にこの数字を叩き出してくるということは月曜日は鎌倉幕府滅亡(1333)から室町は南北朝あたり?。

火曜日が応仁文明、水曜日が戦国時代。あっというまに現代・未来へワープしそうな勢いです。

 

さて、鎌倉時代。称名寺のつづき。

鎌倉北条家ですから「北条」でもイイはずですがこちらの地名からそれをいち早く判別しやすくする意味もあって金沢氏で統一させていただきます。なお地元でも金沢文庫とか金沢八景と「かなざわ」と「沢」を濁りますが人の名としての「金沢」は「かねさわ」と読んでかつ濁りません。

 

称名寺の池の奥の林の中に墓域結界があります。

そちらが先日重文の称名寺絵図(1323)を貼り付けましたがそちらにも記されている金沢顕時と金沢貞顕の墓になります。 

三重塔の西側といいうことになりますが上記画像は西を上に転じています。

 

墓域東側の五輪塔が金沢貞顕、そして西側が金沢顕時とあります。現場の門柱にもそのように記されています。

この金沢貞顕の墓とされている五輪塔の下から蔵骨器の青磁壷が発見されてしますが、その墓碑の記されている称名寺絵図~記されたのが元弘三(1323)年~に金沢貞顕の墓があるのはオカシイというのが今の見解。

元弘三年(1333) に新田軍の包囲によって鎌倉の東勝寺で自刃していますので。

絵図に追記したとしても骨壺が出てくるということは勿論遺骨を納めているということになりますが、信長の本能寺同様、猛火のうえ多くの一族がそちらで亡くなっていますのでまともな収骨はできていないのでは・・・というのが調査識者の見解。

よって墓の存在は確かにあることからその「追記」について二人の名を間違って記した・・・(東側が金沢顕時)というようにも言われています。

墓石には銘文がありませんので・・・最後の4枚は同じ墓域のもの。