願興寺にもシダレがあったこと 思い出す

昨日の天声人語は「歴史」についての記述でした。

そのお勉強をしてきた中で、解釈・事実が時間とともに変わっているので注意が必要である・・・というものでした。

鎌倉幕府成立を<いいくに(1192年)つくろう鎌倉幕府>とその西暦年を覚えたことは懐かしいものがありますが、今の教科書では成立について「それ以前」になっているようですし、数年前から言われだした足利尊氏像はただの「騎馬武者」のように扱われて教科書からは記載が消えているそう。

そういえばあの頼朝像も「怪しい」と聞いたことがありますね。

 

最古の古銭といわれた和同開珎もその地位を奪われ今は「富本銭」等のそれ以前の存在があった・・・というのが常識でした。

そしてそのコラムの本題が「士農工商」と言う語の錯誤。

以前の教科書的解説では身分厳格(ピラミッド型序列)の社会を言い表す言葉でしたが今はその感覚は消えて「農工商」などはただの職業的区分けに近かったといいます。

「村に住めば百姓、町に住めば職人か商人」であって上下のこだわりなど、そうはなかったようですね。

日々「歴史」への進歩と発見がありますね。

 

発見と言えば岐阜願興寺の戦国期の落書きが見つかったという報道がありましたが、昨晩はそちらの本堂解体作業の番組がありました。

開元通宝が出てきたりお寺の史料の元亀三年に秋山虎繁の手によって焼き払われたという記述は面白く、なるほど・・・でした。

武田と信長とのせめぎ合いの中の最前線でもありましたからね。

 

さて私の最近「忘れやすくなった」と昨日記しましたがそのテレビの中、工事中の願興寺を見て思い出したことがあります。

本堂の裏には大き目なシダレがあったことを・・・

私が訪れたのは夏前頃でしたので葉は青々していましたがこれから先、見頃になるでしょう。

宝物館は予約が必要のようであの時はパスしましたがこの秋、東京国立博物館の特別展「最澄と天台宗のすべて」にて「願興寺門外不出の秘仏『薬師瑠璃光如来』の開帳があるようです。

会期:2021年10月12日(火)~11月21日(日)。

まだ先のことできっと忘れる・・・

 

①~③は願興寺。

④は拙寺南側墓地基礎部分。殆どおしまい。