光秀新説いろいろ 境内墓地改修工事着々

先日は加賀藩の兵学者「関屋政春」の「乙夜之書物」(いつやのかきもの)という書籍、あの時「光秀は本能寺にいなかった」の件、記しましたが今度は「光秀家臣の伝説 別人だった?」の表題が。

 

これは明智弥平次秀満と馬で湖水を渡った伝説の左馬助は別人だったのニュースです。

同じ「乙夜之書物」からの発見ですね。

その内容は弥平次は石高1万5千石の光秀の甥。

「佐馬助」は光秀の「御モツ立」(御物立~おもつだち~とは幼いころから主君のそばに仕えた者-加賀藩内で使われた)と。

 

①画像は1/15朝日新聞夕刊から(三行目の下)。

「明知弥平次壱万五千石光秀ヲイナリ・・・

明知佐馬助五千石是ハ光秀御モツ立ナリ」

 

そういった新発見はこれからも出てくるでしょうね。

また完全に消え失せてしまった真実もあったとも思うところ。

実は嘘が真実の如くまかり通っているなどなど。

 

さて昨日は朝から「チェーンソー持ってきて~」の電話。

某家にてゴミ片付けの手伝いをする予定でいましたがその依頼には驚きました。

チェーンソーを振り回すことは嫌いではありませんので、どちらでも依頼されれば「二つ返事」なわけですがそれには十分な時間がありませんでした。

 

マイ・チェーンソーはひと仕事終えれば、クリーニングののちに刃研ぎしブレードから刃を外し、キャブレターに虫や埃が入らぬようラッピングして棚の上にしまうのが常。

そしてまた、ここのところ1年以上はその使用がありませんでしたので、オイルに燃料、工具一式用意して始動させるに不安があったからです。

 

電動モノであるならともかくエンジンのそれは結構に気まぐれですからね。

寒さからオイルの粘度がイラ付くほどドロドロで「こんなので大丈夫かよ」と思わず独り言を言っていました。そして古いオイルに古い燃料の件もありましたがそれは無視。

ほどなくその不安は一掃され以前と同じ絶好調の回転が維持されましたのでスグに現場に向かって気持ちよくそれを振り回しました。

申し訳なくもたくさんの殺生をしました。

 

ボランティアのつもりで行きましたが「お車代」など差し出されてそれを図々しくも頂いて帰ってきてしまいました。

何事も甘っちょろくできています。

 

ちょうどその日はそういったクリーナー系の営業折込チラシが入っていましたが「軽トラ一車19000円」とありました。

この日はもう一方の軽トラと2台で動きましたが全部で6回満載。

 

「その半額でも十分儲かるね・・・」というのが拙寺世話人さん方。そこで「早く息子を入れて住職は引退、新会社でも興そう・・・」などと。

悪くないかも知れませんね。

外仕事は健康にいいですから需要があるのでしたら真面目に検討したくなります。

そうなれば2トンのダンプが欲しくなりますね。

そもそも私は黒衣よりドカジャン・ツナギと軍手が似合っているようです(by 奥方)。

 

2トンダンプといえば朝方、前日のガラを撤去した分、必要になった土砂を入れての転圧作業が・・・。

お昼すぎに見に行けば単管パイプをユンボで突っ込んでいるところでした。

 

1区画に四方に4本、10区画にそれを叩き込んでコンクリを流し鉄筋で繋いでベタ基礎にするという手はずです。

出来上がった区画に西側にある墓石三基を拙寺の手配で移設いただき、次に空いた場所を掘り起こして同じ工事をしていくといった感じ。

不良業者に好き勝手をやらせると「こうなる」という例でした。

 

まったく経費がかかることばかりで・・・昨日はそれを愚痴りましたが当然に「探し出してやりなおさせろ・・・」でした。

もっともその者が生きていての話ですからね。

昨日はつい頭にきて「末代まで・・・」など言い放ったのですが・・・まぁその手の人間どもはロクな・・・

もうやめましょう。