こいさん  月の法善寺横町

正月も4日になったということで外仕事を開始しました。

それは地頭方の処理場が開いたこともありますが、否が応でも先に進んでいかないと境内の雑然が晴れません。

毎度鉄管パイプ製の急ごしらえの受付小屋を撤去、ドラム缶2本の片付けとたまりに溜まった花ガラとゴミを処理場へ。

寒い寒いと着こんで動きましたがスグに暑い暑い・・・勝手なものです。

 

帰宅してからはこの日の納骨の準備のために木端とハンマーを持って御当家の墓石前へ。

石屋さんの仕事ではありますが法名彫りは後になることは必定ということ、先方の手はずもなく急ぎであることもあって「それでは私どもで・・・」と気軽に引き受けました。

 

納骨だけならカンタンな仕事です。

石塔の種類によって納骨方法各ありますがそちらは納骨室の蓋を兼ねて鎮座する焼香鉢を外すタイプ。

 

要はその「石の塊」を外すことができれば納骨はカンタンな仕事です。

大抵は防水のためにモルタルで目地止めをしていますのでそれにクラックを入れます。

そのために木材を充てがって様子を見ながらハンマーで叩くわけです。まず数回のチャレンジでOKです。

面倒なのは最後のモルタルでの修復。

コレは奥方の仕事になりますが用意するものはモルタル少々と紙コップとビニール手袋あるいは軍手。

ざっとその焼香鉢の石材周囲に指と割りばしで溶いたモルタルを塗り、少したったら濡れ雑巾で拭き取っておしまい。

 

石屋さんの仕事を奪って申し訳ないことですが「臨機応変」です。そちらの葬儀も本堂でありますが、こちらでは葬儀屋さんの仕事もします。そして司会進行も私がする予定です。

ホントはこれが昔ながらの葬儀なのですがね。

 

さて、昨日の新聞紙上で目を引いた記事のタイトルが「光秀 本能寺行かなかった?」です。

加賀藩の兵学者「関屋政春」が記した「乙夜之書物」(いつやのかきもの)の記述。

本能寺を囲んだ斎藤利三の三男で同じく父に同行した利宗がおいの加賀藩士井上清左衛門に語った内容だといいます。

 

それが「利三と明智秀満が率いた先発隊二千余騎が本能寺を襲い、光秀は鳥羽に控えていた」というもの。

 

関屋政春は息子のためにこれを書き残し、他人に見せることは厳

しく禁じていたといい加筆はもないとのこと。

なによりソースがはっきりしていることから信ぴょう性は高いそうです。

 

そうなると大河ドラマ制作関係者しとては「今かよ・・・」の気持ちでしょうね。

撮り終わっている大河ドラマの一番のメインたる「現場」、史実は「光秀はいなかった」ではね。

 

一昨日の大河ドラマの演出はまったくがっかりで、「明智の妻」の死のだらだら感。信長被弾の件あのセット演出も首を傾げましたがヤッツケ感満載と女性視聴者を意識したものか・・・と。

そして何より天正四年まで進んでしまったということ。

それもナレーションで・・・

それは天正三年の長篠・設楽原の戦いをも無視したことなのでしょうか・・・諏訪法性の甲打ち捨ての演出はあると見込んでいましたが大外れでした。

 

ナレーションすらありませんでしたね。

まぁあの戦闘については「省いちゃいましょう」だったのでしょう。

当方奥方は「あんな大規模な戦いについてちょっとしたカットですら難しいだろ・・・11年戦った本願寺戦があのザマ。馬防柵に騎馬戦と鉄砲 ?  ムリムリ・・・」と吐き捨てられました。

 

その葬儀の件、縁者を差し置いて拙寺と婦人部が勝手に呼びかけたものでしたが私が故人とイメージが繋がるものといえば突飛ですが「月の法善寺横町」(ちなみに現地は「横丁」)。

1960年の藤島桓夫のヒット曲で私でも耳に馴染んでいるくらいですから年配の方でそれを聞いたことがない人はおそらく皆無に近いのでは・・・

 

「包丁1本 さらしに巻いて・・・」の冒頭と曲中挿入されるやさしい語り口の絶妙は故人の突然の逝去と繋がってなぜか心に響きますが詳細は割愛します。

 

その歌詞の中に出てくる「こいさん」について。

奥方の祖母は三姉妹でその末の娘に「こいさん」と呼んでいた人がいたことを覚えていると・・・家族の中でも末娘のことを「こいさん」呼びしていたとも。

これは大阪特に船場中心の商家で奉公人や周囲の者が主人の娘を呼ぶ「いとさん」から来たことば。

奥方の祖母は大阪の瀬戸物問屋の娘と聞きます。

 

姉妹二人だったら二人とも「いとさん」ですが「上か下か」を区別するために末の娘の方を「こいとさん」と「こ」を付けて呼んだといいますが知らぬ間に「と」が消えて「こいさん」になったといいます。

ちなみに三姉妹の真ん中の呼び方は「なかいとさん」。

娘は「愛おしい人」だから「いとさん」。

ちなみに男だと「ぼんさん」。

そういう「ぼんぼん」がアホだと「ばかぼん」。

ばかぼんさん成長して「わか」。

前婦人部で故人、小山さんは私のことを「わかさま」と呼んでくれていましたが今は「ばかぼん(坊)さん」(奥方)。

私の呼び名も色々変わりました。

 

よって歌詞の内容からすると元の奉公人と元の主人の娘との悲しいおはなしか・・・昔はまずはかなわぬ恋ということで駆け落ちか心中かというのがその流れでしたが・・・「親方はん」は許してくれた・・・と。

 

画像は以前の使いまわし。③法善寺の水掛け不動尊。

②中央が二河白道堂、左に不動さん、右に夫婦善哉。

二河白道堂の石塔中央が「南無阿弥陀仏」向かって左が「倶会一処」右側が「千日念仏」。

法善寺は浄土宗のお寺ですがこちらの水掛け不動がブッチぎりで有名です。

 

 

  

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 05 1月 2021 08:45)

    私も光秀の話を読みました。
    これだから面白いんですよね。
    昨日はコメントが送付できませんでした。
    何でもやってみなくちゃあわからない。
    「やってみなはれ」ですね。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 05 1月 2021 16:59)

    ありがとうございますす。
    奥方は「また おもいつき」・・・
    「ご自由にどうぞ・・・」でした。
    自由にうまいことやらせていただいています。