慙愧 恨み骨髄・・・末代まで 田沼意次銅像序幕は5月

昨日は今年初のホールでのお弔いの式。

九十九歳という長寿のおばあさんで痴呆も、また大きな病もなく「いよいよ電池がなくなった・・・」的、命終だったよう。

奇特なことです。

幸若舞でいう「人間五十年~」(意味は違えど)からすれば2倍のいのちですからね。

人生2度味わった・・・などと敬服するばかり。

 

腹から声を出して気持ちよく汗をかきましたが横浜で同じ仕事をしている息子の方がはるかに動いているようです。

それだけ法要等であちこちの墓園を飛び回り、人と接する機会が格段に多いのですが、あの地に住まっていてよくもまぁ新コロにかからないものだと感心しています。

 

理由を考えれば①通勤は歩き②法要の移動は車③お斎はナシ・・・というところでしょうかね。

 

実は彼は1月のスタートの最初の3日間は欠勤したといいます。

体調不良により即座に発熱センターに相談し受診予約。

その日のうちにPCR検査をして陰性判定を得たものの自宅静養を指示されて念のため3日間休んだといいます。

 

私がその話を聞いたのは陰性判定がわかってからですので心配はありませんでしたが、まったくそれは結果オーライ。

「今から検査」などと言われたらやきもきさせられたことでしょう。

 

現状の検査と受診態勢は各どうなっているのか分かりませんが、その息子の場合はうまいこといったと安堵しました

ただし神奈川県は今コロナの重症患者病床使用率は9割を超えています・・・

もう、神奈川県人は新コロは勿論どんな病気にもかかれないというレベル。

この逼迫は首都圏も大阪も同じようなものですが・・・。ただただ何もないことを願うばかりです。

 

友人の甥っこが「陽性判定が出た」と先日聞きましたが、実はその友人たちとフィリピンパブで集団感染したといいます。

その事実を各仕事先に知られるのはいかにもマズいと一同ダンマリとのこと。

「どこでかかったかわからない」を決め込んでいるといいます。

 

ストップがきかない人というものはまずどちらにも存在するわけで「お願い」(要請)と先日記したような「日本人の道徳観は他を見ないスバラシさ」などの精神論、まったくもってアホらしいことです。それらは「何もしない」に等しいことです。

 

しかしまぁ、若い連中にはかないませんね。

去年の夏前に「20代ほか若人は新コロに罹っても大丈夫」風の事を振りまいていたのはいったいどなた?

 

朝方の車での移動中にその番組を視聴しました。

ノーベル賞受賞者-本庶佑氏と受賞者4名の「緊急共同声明」が紹介されていましたね。

「政府の積極的な対策、方針が見えていない」とその迷走ぶりを指摘し「GOTO~の業界支援」ではなく検査数をより増やすために資金を投入する方が大事と。

 

その検査の件「1年前から繰り返し申し上げていますが、いまだに厚労省の考えが変わっていないのは全く理解できない」とまで仰っていました。科学よりも経済にウェイトがかかっていたということ。経済にネガティブな話には目をつぶり耳に栓をする、いつまでたってもです。

 

私も今回のパンデミックの国内医療崩壊と国民疲弊の責は政府、そして厚労省の無策に尽きると考えますが、それはどなたも同じでしょうね。

 

さて、画像は田沼意次の銅像建立の寄付が満了となっていよいよこの5月に序幕式を迎えるというポスター。

市庁舎の入り口に貼り付けてありました。

 

②~は拙寺境内地墓域の図。

先代からの懸案事項にいよいよメスを入れることとなりました。

これはかつて拙寺に隣接する土地を墓地用にと父が購入したものですが当初より中央付近の地盤が沈下するという瑕疵に見舞われ、困惑され続けたものです。イライラがつのるばかりでしたね。

 

父と私との諍いの元となった事案でもあって当初の土地購入と工事の際はまだ私は横浜に居てその件あずかり知らぬことでした。

私が時折相良に来てこの大迷惑の存在に気付かされたのですが私は当然の如く「業者の工事責任を指摘して改修させるべし」と口を酸っぱく物言いし、相良に来るたびに「どうなっている?」と強く父に迫ったものでした。

 

父は業者に何度か電話でそれをうったえたらしく、のらりくらりと丸め込まれていたようです。

それを言うと私に逆切れするようになって「騙す方が悪い」と自身の先方へのクレーム不作為について棚に上げるようになっていつも険悪な雰囲気になっていました。

 

そのうち父から「その工事業者は潰れたようだ」とのことで諦めムードとなる始末。

それ以来私はずっとその地盤沈下と闘ってきたのでした。まさに負の遺産ですね。

 

そこで昨日から小型ユンボを入れて掘削を開始。昨年来別の業者にお願いしていました。

当初は以前建っていた家屋の材木が入っているのでは・・・と考えていましたがさすがに昨日は仰天させられました。

出てくるは木片でなくコンクリートのガラの山。

墓地10区画分だけの掘削でしたが、2トン車1車+少々のコンクリートが。

④は砕かなければ運び出せないコンクリ塊の図。

 

これは何を意味するかといえばどちらかの工事現場で出たコンクリートのガラを正当な処分代を浮かせるために「墓地だからいいや」「住職はバカだから、かまうこっちゃない」の「やっちまえ」の「えいやぁ」。

これを見せつけられて、まったく「ふてぇ野郎だ、覚えてやがれ・・・」と口汚く罵りたくなりました。

 

安直にここをゴミ処理場所にしたということ。

ガスメーターの類も放り込んであったといいます。

当流「おまかせ」の一義が悪い方向に出たというところですが、業者にすべてまかせて「信じる」方も悪かったかも・・・

 

怒り心頭、恨み骨髄・・・経営者不明とはいえ「末代まで・・・」とまで言ったらお下劣でしょうかねぇ(ニヤリ・・・・)。

亡き父親との不毛な言い争いを惹起させたこと、後悔もありますが限りなく腹立たしい。

その件本堂如来様の前で慙愧、沈思黙考させていただきます。

 

尚、ガラを取り出した後は転圧し、ベタ基礎にしてから区画を作る予定です。

なんとか使用可能にしたいというのが私の希望。

そのあとは様子を見つつ考えます。

私は息子にはまともなカタチを残していきたい・・・。

それさえも「儚い夢」であることくらい分かっていますがね。

あとはやはりおまかせ。なるようにしかならない・・・。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 15 1月 2021 09:18)

    いいじゃあないですか。親の不始末を子供が始末。親孝行ですね。
    性善説では通らない世の中。これも致し方なし。
    かといって、性悪説で進むのはつらい気持ちがあります。
    人間、相手を信じたい。根本は信じたい。
    信心とは難しいですね。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 15 1月 2021 12:24)

    ただ「なる様にしかならない」のですが
    夢を追うためにそれに抗ってみるのも人生です。
    煩悩を抱えたまま往生させていただきます。