近江甲良尼子界隈の寺社 目に入ったものだけ

東京の新規感染者は昨日月曜日も「曜日」の最高更新(481人)。

これまでのパターンからすると週後半にかけてこれまでの圧巻を超えていく可能性大ですね。

というと「1000」もあるということか?

 

昨日のブログはとんだヘマをやらかしました。

前々日に記したものを消去せずにそのままアップしていました。

息子から夕方頃「イイ加減にしろ」との指摘がスマホにあってパソコンに目をやれば、他にもご指摘があったことに気づきました。

 

私がブログを更新する際は、まず前日のブログを複製することから始めます。それは字の大きさ、改行時の間隔等を設定する必要がなくてとても便利だからです。

画像を削除して新たな画像をはめ込み、あとは例によって適当な事を上書きするという作業ですが、昨日はその他残りの記述の削除を失念し、そのままそれに気づくことなく放ったらかしにしていました。

 

いつもなら大概は念のためのチェックを入れて毎度の誤字脱字を修正する時間を持ちます。いつも午前中には何とかなっていたわけですが昨日はその時間もないほどにあたふたしていてすべてが酷い有様でした。

 

年末恒例の来年度の回忌表を製作、朝から過去帳と格闘していました。

年末のギリの時期にそれを作っていて毎度思うのが今年もあと数日というところで「もはや追記することはないだろうか・・・、しかし・・・」というもの。

かつて色々ありましたからね。絶対はナイのです。

 

12月23日に息子からメールが入りました。

牧之原市の「高齢者福祉課」らしき所から息子の携帯に電話があって「今は違う」と私の現在の番号を伝えておいたというものです。

息子の携帯番号は以前の私の番号ですので、時折その手の事は発生していましたので「またか・・・」程度のことで気にも留めていませんでした。その後こちらに電話はありませんでしたし。

 

そして本日、朝からの悪戦苦闘にそろそろ脱出できるかという頃に檀家さんで地区の前の民生委員だった方から電話があってやはり檀家さんの「Aさん宅前にパトカーが停まっていて警察官が自宅に入った」と。

そして「おそらくダメだろう」とのことでした。

その方はまだ70歳前半で以前の脳梗塞によって障がいは残るもののいつも元気で拙寺のバスツアーには必ず参加してくれるほどでした。

 

それからその息子への電話の件があったことを思い出して私のもやもやはいよいよ拡大していったのでした。

近所から「車はあるがAさんを最近見かけない」「呼び鈴にも応じない」と市の福祉課や地区民生委員に連絡があって周囲に緊迫感が漂っていたことを知りました。

私への電話は別の市の部署からだったようで強く安堵したのでしたがそのあと遠い親類の方がやってきて「検死が終わったがどうしよう・・・」とのことでした。

 

私とAさんとの付き合いについて(その方も檀家さんです)は以前その方にAさん宅の掃除片付けと鬱蒼とした樹木の伐採について「みんなでお手伝いしてやっつけましょう」などと提案したことがあったのでした。

その提案はAさん自身から拒絶されて立ち消えとはなりましたが、その方は「何か遺言は聞いていなかったか・・・」と「どうしていいかわからない」の悲鳴を投げかけてきたのでした。

私は何も聞いていませんし突然の事。あの人の性格からすれば「自分は死なない」というところ大なる方ですからね。

まぁそれはどなたにも言えることですが。

 

遺体をどちらで引き取るか・・・その方が言うには「既に検死に5万円、搬送には10万円かかる」と仰っていましたが独り住まいの孤独死ということでそういった資金面の段どりもつかないとのことでした。

 

そこから私なりに縁者の存在について最も親しくしていたやはり「遠い親戚」と言っていた吉田在住の方や近隣の事情通の方にあたってみるとお兄さんが二人いることがわかりました。

ところがその後その二人のお兄さんは既に亡くなっていて縁者拒否いわゆる相続放棄の連発となっていることが判明。

年末、コロナといいそれに関われないところは理解できますが・・・

 

すると次に福祉課から電話があってご遺体は警察署に一晩留め置かれ「29日午後」に火葬することになったと。

要は無縁・ゆきだおれのケースと同じですね。

そこで、御礼はできないが「あとのことと埋葬の件タノム」との依頼でした。

快諾して火葬場で待ち合わせすることを約束しました。

 

前述の近所の方と吉田の遠い親類といわれる方にその件連絡したところその時間に火葬場に集合してくれることになりました。

それでもよかったと思った次第です。

また、別地区の民生委員として活動しかつ拙寺婦人部の会長にある方にそれを告げて来年早々にあらためて「葬儀に準じたお別れ会」をやろうということでまとまりました。

 

つくづくその孤独死という寂しすぎる結末について悩む一日でしたが、やはり人は生まれてきて少しでも経ったら「自分の死」とそのあとのことについて適宜考える時間を設けないとアカンとあらためて感じたのでした。

 

火葬場には法名を記した法名板を持参して私なりの寄り添い方をしようと思います。

29日午後遅くには拙寺本堂にお連れします。

生前にそれがでなかったことを悔やみますが・・・。

 

また、福祉課の職員は今日にでもAさんの自宅に入って必要なものを「探索」するとのこと。

私も昨日どなたかいらっしゃるか自宅玄関を開けてみましたが年末年始用に取り寄せた数の子やらそれら食品の段ボールが積まれている様子を見て空しさひとしお。

19日の発送の品でおそらく20日には受け取っていたのだろうか・・・と想像を巡らします。

その後に担当者が自宅を閉めに来たようです。

 

さて、私が好きな近江、昨日の尼子の続き。

どちらも以前の画像(→甲良町役場付近またはこちら)と同時期のものですが尼子の街区をざっと流して見つけた神社とお寺を。お寺については門徒寺とあれば大抵立ち止まってご挨拶することにしますが、こちらには「さすが江州」と唸らせるほど本願念仏を主とする寺が点在しています。

ずっと南無阿弥陀仏、なまんだぶ・・・ありがたし ありがたし・・・