犬上郡甲良町 佐々木道誉の城 勝楽寺城

まず地理の復習から。

紀伊半島の付け根辺り、伊勢湾側を北に走る鈴鹿山系。

その山系が終わって今再び立ち上がるのが伊吹山系。

両山系を分断して東西に走るのが、大垣と米原・彦根を結ぶ中山道であり現在の東名高速そして東海道本線も走るいわゆる交通の要衝です。

 

 1600年に国内勢力が東西に分かれて戦った関ヶ原もこちらの街道沿いになりますね。

また、かつて伺った米原の番場、鎌刃城は近江側と北国・東国へ結ぶ中山道の出入り口といっていい場所でした。 

A犬上郡甲良町
A犬上郡甲良町

 現在は鈴鹿山脈をぶち抜く新名神高速が開通し、京都方面へショートカットできるようになりましたが、上記の如く感覚を頭の中に入れておくと、湖東(琵琶湖東岸)の歴史と人の流れを把握しやすくなります。

 

 さて、鈴鹿山系のエンドの部分、一番琵琶湖よりにあるのがこの山系からは独立した佐和山城となりますが、こちらより南方の琵琶湖寄りの地名が「犬上郡甲良町」です(場所はここ)。

 

 この地名はとても新鮮で何ともいえない余韻ある好きな名称です。犬上の名は「記紀」に登場する日本武尊の後裔の豪族「犬上君」が元と言いますね。古いのですよ。

 最近古い地名を変えて「キラキラネーム」にしようという各地自治体住民の動きがある様ですが、まったくアホらしいことだと思います。伝承・歴史の深みある名称を今、勝手にたまたま生かされている私たちが一時の流行り廃りの感覚で名称変更するなど愚か以外の何物でも無いことですね。

 話は飛びますが遠州と駿河等旧国名を跨いだ市町村合併などもあまりイイ感じがしません。

 

 こちら犬上郡甲良町は鎌倉末期から南北朝時代に活躍した京極(佐々木)道誉が地盤にした場所です。

 

 京極系佐々木氏は近江守護を世襲し観音寺城を本拠とする宗家の六角佐々木家とは分家筋になります。

 

 笠置山に篭城した後醍醐天皇を攻略して隠岐島に配流した六波羅探題北方の北条仲時一統432人を1333年、番場の鎌刃城麓の蓮華寺で自刃に追い込んだのも佐々木道誉でした。

 

 昨日の仕置場のある城になりますがこちら勝楽寺城は佐々木道誉の城と云われています。

近江の山城らしく登り応えが結構ありますね。

昨夏の登攀はかなりキツかった思い出があります。

山頂で絶不調に陥ってひっくり返って休みましたが、「奥の墓道」が直前に私が触れた「墓石」がいけなかったなどとまったくもって不愉快で不合理な「因果の論理」を一説ぶったものですから、余計に腹が立ったものでした。

 

 山頂部というか尾根伝いに東から西に所々平削した郭を持ちます。各種ガイドには少々石垣が残るとありますが、この城に少しばかりの石垣を設ける理由も不明ですし、石垣を積むのが流行り出す時代にはちょっとばかり早い時期ですので、各郭に建てられた建築物の礎石等が後世に積まれたものか、ちょっとした閉鎖空間を工作した部材程度のものだったのかも知れません。

実際の所、よく判っていない城ではありますね。

 

 この城址には②の防獣柵の鎖を解いて登城します。

スグに砂防ダムの橋を渡れば昨日ご紹介した「仕置場」。そこから上りにかかります。ハイキングコースになっていますので各所に看板が立ち、道に迷うことはありません。

 

 ⑨⑩「上臈落とし」という残酷そうな名の残る西端の郭から琵琶湖方面を見た図ですが、琵琶湖特有、夏の霞がかかってしまいました。

 

 「上臈落とし」~高貴な(罪人)を崖から突き落とす?~というくらいですから、山麓の「仕置場」と同様に処刑場であったような感じがしますね。

 

  ⑩赤い矢印方向に双方佐々木の境界線となる愛知川(えちがわ)をはさんで安土城や六角観音寺城のある繖山(きぬがさやま)があります。