大徳寺 総見院の濃姫、帰蝶の五輪塔とお鍋の墓

「女墓場放浪記」を期待して休みの日は「墓場へ」と以前、その友人に墓をリストアップして送っていましたが、1回目のチャレンジで挫折してしまいました。

 

現在はもとの山女に戻って私にはこれ見よがしに山の画像を送ってきます。月に2度は山へ行かないと気が済まないと。

昨日は「雨上がりでよくもまぁ・・・」と驚かされましたが山梨県まで足を伸ばしたよう。

その山は「殆ど観光地」とは言っていましたが羨ましいのは健康維持十分の姿。観光地化した登山道にクマは出ませんね。山にはクマの食べ物が無いようですし、今出てくるのは市街地でした。

 

彼女は週明けには仕事に出ているのですから大したものです。いかに私が甘っちょろい環境にいるか・・・

 

さて、政所執事摂津晴門の登場はドラマ的に唐突でした。

昨晩の大河ドラマの演出です。

おそらくこの人物はドラマ・映画等で扱われること初登場ではないでしょうか。

特に歴史を左右するような人ではなかったようですし、本当なら埋もれたままでいたとしても不思議はないのですがここでの登場は今後劇中において何かやらせる企図があるのでしょうね。

 

あくまでも「ドラマ」ですからご自由に・・・ですがドラマファンからは「帰蝶はどうした」の疑問が沸き起こっているようです。コロナによる中断があっての再開、「さぁ・・・」という具合に待ちに待っていたという帰蝶さん、一向に姿を現しませんね。

まぁ人気女優さんでスケジュールが押しているのでしょうが、そもそも実在していない登場人物を基にした演出多々ある中、不詳のこと多い帰蝶とはいえ、なぜに実在の人物を蔑ろにするのだ・・・というのがその意見ですね。

ドラマでは信長の台詞として「岐阜で帰蝶が・・・」とありましたのでじきに登場させるのことでしょうね。

 

伏線としては二条城新築現場のシーンで持ち込まれた石仏について信長と光秀のシーンが印象的でした。

子供の頃「仏」を蔑ろにして怒られその際「罰があたる」と脅されたが「待てど暮らせどその罰とやらはあたらなかった」という台詞。光秀は相当の違和感を持った無言でしたが、あたかもその「罰」はもっとあとからやってくる・・・を暗示しているが如く。信長はその石仏の顔を「ペンペン」という具合に叩いているシーンは見る者によっては恐怖を感じたかも。役者は大変だ・・・。

 

まぁ石垣や建築物の礎石、石段に石仏を使用することは珍しいことではなかったですね。

突貫工事に手っ取り早い「転用」「再使用リサイクル」程度の感覚だったかも知れません。

光秀の福知山城の石垣なども凄いの一言ですからね。

 

ちなみに二条城突貫工事の石材としての石仏たちの件、夥しい石仏が地中から発掘されていることは有名です。

それらは現在竹林公園(あるいは百々橋)に移設されていますがちなみに来年のバス遠足ではそちらに寄ることになっていました。

 

画像は以前記した大徳寺塔頭総見院の織田家の墓。

なんとなく見回して撮影したものでしたが濃姫「帰蝶」と伝わる五輪塔がありました③。

「養華院」と言う人の墓といいますが、その養華院=帰蝶という断定史料はないようです。

そのお隣の川石のようなものが興雲院、お鍋の方の墓と言われています。