丸に違い鷹の羽紋付きの鮫小紋 創造 波さんの暗躍

昨日の法要の参列者だった年配の女性(86歳)と墓参後立ち話。

お天気は良かったですからね。

「実はあなたのお爺さんが私の名をつけてくれたの」と。

祖父(十三代目)に付けてもらった名とは「菊江」さん。

その際「キクエ」にする・・・と言われ、親は「菊枝」と「枝」の方を選択しようとしたそうですが、「それはダメ 江じゃなくちゃね」と言われたという経緯があったそうです。

そこで私ならどうだろう・・・とふと思いました。「やはり江戸の江」ですね。まぁ今その立場になったとしたら(100%ナイ)その名は出てこないかも知れません。

 

その方は、「そういえばお爺さんは貴方と同じロン毛だったね」と。それもへ~でしたが私の知っている祖父は既に髪は薄かったのです。また私は自分の今の髪を「ロン毛」だとはまったく思っていませんが。

て、ことは・・・爺さんの頭と同じになるの?といえば、「図々しい!どこまで生きてんだ・・・」と奥方が。

 

さて、広大院→専行院→波さんと渡った着物について、プロカメラマンが撮ったデータをいただいて「どれだけ高額(のカメラ)・・・」などと思いつつそれら眺めまわしています。

昨日はその一部をさらっと記しましたが、ついでに打って変わって地味ではありますが鮫小紋の生地を。

 

波さんが持ちかえった着物は①夏用と思われる薄手の「源氏物語」②葵紋の入った「石橋」ですが①の裏地はまさに裏生地で、その隅に拙寺十代祐賢による着物の云われについて記してありました。そして②の葵紋の豪奢な方のウラにこの鮫小紋の生地が縫い合わさっていたということです。

 

誰がどう見てもこの「石橋」の図柄の葵紋の存在とその手が込んだ素晴らしさに波さん自身の思い入れというものをも連想するわけですが、その生地の裏側にこの「鮫小紋」が裏側としてですが重ね合わせて縫われていることに波さんの思いまで勝手に推測していたのが以前の「阿部正弘」の存在でした。

 

それを推察できる書面・書付のないただの「思い」ではあるにしろ十分にその可能性はあると思ったのでした。

波さんの立場についていったいどういったものだったのか・・・ですがその辺りはすべて推測です。

 

この阿部正弘を唐突と考えることもできますが、この天下に名だたる(特に大奥世界で)両名の名(広大院 専行院)が出てきているという現状その時代背景から「阿部正弘」の名を私が挙げたとしても不思議はない、切っても切れない登場人物だったからですね。過去ブログではこちらこちらですが今も色々と思いが沸きあがります。

 

波さんの父十代祐賢の記した裏書の冒頭部分を今一度復習してみます。

当山十世娘おなみ江戸西之御丸御殿弐の側おみよ様乃御部屋を篤実ニ勤て御たもんゟ出世して御つほね迄ニ相成」

の通りで永年「江戸西之御丸御殿弐の側おみよ様乃御部屋」にいたということですが、私どもが当初勘違いしたのは「おみよ」の「よ」を「て」と解したこともありますが、この「御殿弐の側」の箇所。「」を西之丸御殿の「弐の御殿」のことだろうと建屋の名称であると読んでしまったからですね。

要は「江戸西之御丸御殿、弐の側おみよ様乃御部屋」と句読点があればピンとくるはずだったのです。

こう読めばそのあとから出で来る「一位様」との関わり(家斉の正室 広大院)と側室のトップで実質NO.2だった専行院を考えれば弐の側といえばおみよでないワケが無かったのでした。

その指摘は藤田先生によるものでしたね。

 

当流チャキチャキの真宗門徒の仏飯を食んだ娘が若かったとはいえその神仏祈祷土俗迷信入り乱れた江戸城内に上がっての生活は相当の自我の抑制と対応力の素晴らしさを感じずには居られないのです。

波さんまとめ」にも記していますが、御持仏を持ち続け、最後に真宗寺院には付き物といっていい聖徳太子の像まで手配したのか餞別だったのかいまだ判明しませんが、真宗専修念仏の気構えは捨てていないはずですね。

 

ところがどうでしょう。波さんのボス(旦那)はといえば専育院(おみよ)でした。皮肉といえば皮肉なことですが、そのおみよといえば、大奥中、前代未聞の宗教スキャンダルを惹起した側室でしたね。

その件、各お調べいただくとして実際、ボス主導とはいえ他流の本尊や坊さんたちと仲良くできたのか不思議です。

私は当流の「血」というものはそこのところ耐えるのはなかなか難しいのかな・・・と思えてなりません。

 

その側室おみよの暴走についてバッサリ切り込んだ人が阿部正弘だったのですが、ひょっとして波さんは常々の不満を重ねてどこかの段階でプツンと切れてその内情を阿部に漏洩させたのかも知れない・・・などと思ったのでした。

まるでスパイの如くに・・・。

 

余談ですが、専行院登場のテレビ、映画は多数。直近のフジテレビ系の『大奥』「第一部〜最凶の女〜」ではあの「麒麟が来る」で直前の不祥事で帰蝶役を降ろされた役者が演じていたようで、キャラとしてはそんな感じ・・・とも思うところ。敵は多かっただろうとも。

 

ブログのどこかでも記していると思いますが、波さんは大奥で起こった話については殆ど他言せず独身のまま明治二十二年八月二十日に亡くなっています。

その際、「妙人祠堂金100円」の寄進を別に受けていることが過去帳に記されていました。

葬儀代として残したようですが(現在の約200万円)、その他本山への寄進含め、寺の存続に多大の貢献をしたことが伝わっていますがそれはその法名で納得できます。

 

それが「宝樹庵釋妙好」でした。おそらく院号を使用しなかったのは彼女のボスたちの院号の「院」と重なって、憚られるとの意向だったとと思います。

彼女が余生を送った「庵」が本堂の北西の敷地あたりにあったのでしょうね。

 

お寺にとっては下賤ですがまさに「カネの成る木」をも推測しうる名でもありますし、なにせその法名の「妙好」など「妙好人」という言葉があるように真宗的に言って「このうえない篤信」を意味しますからね。

 

彼女の人生からすると「ただ寺のため、家のため」の人生だったのかも知れませんがお寺にとっては最大危機だった明治を乗り越えるための絶大なる財貨を得たことは確実です。

永年のお勤めの対価以上の金員を頂いたことなど考え阿部正弘との秘密や彼の仕事のご褒美などもひらめいたところです。

 

またたとえば、あの生地と生地を剥がして「中を見てみたい~」などとも。

何か記されていたりして・・・

二つを剥がすことに問題はナイはず。あとは度胸だけですね。

 

昨日と同じ精細画像70%縮小版③。

まぁ今度大奥の専行院と広大院あたりにスポットを当てるような番組を作るとしたら、女中お局の名として拙寺の「お波」さんの名を入れて欲しいところ。

人の目にあまり触れられないこの手のブログでのアピールではダメダメですね。

波さんの暗躍を脚本として売り出そうにも劇ネタとして古いしそもそも才能もなし。

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (日曜日, 28 6月 2020 10:45)

    剥がすのはやめた方がいいでしょう。
    何でもかんでも白日の下にとはどうなんでしょう。
    わからないこと、不思議なこと。解明しなくてもいいと思います。
    想像。空想。楽しいです。
    仮に剥がしても、また解明できないことが出るだけです。
    所詮 心の中はわかりません。

  • #2

    今井一光 (日曜日, 28 6月 2020 17:50)

    ありがとうございます。
    その通りですね。何も無い事はうすうすわかっていますし。
    徒労に終わることでしょう。
    ただし今後、元の着物のカタチに仕立て直しては・・・等の意見もあって
    もしそうなれば一旦はその貼り合わせは解かれるでしょう。
    どちらにしろ新しいことが判明することは悪くないことですが、展示物として増えてしまいますので什器製作と加工維持費の予算が立たなければこちらからは動けません。
    声が掛からなければ「それなり」のものと埋没させるしかありませんね。