カヤの木のある阿弥陀堂と墓地 十王仏祠と同様

昨日の東京は20人。神奈川が6人。

週末はまたどちらも人出で溢れるのでしょうね。

 

景気の動向を示す指数、家庭の消費、就職の内定率等々各ネガティブニュースが伝わっています。

昨日は地元企業の派遣切りについて記しましたが、やはり五日、厚労省が「新コロ」の影響を受けて解雇、雇い止め等4日時点で「2万540人」と。

先月21日に1万人超えだったそうで2週間で倍増したといいます。

 

企業としては仕事が無いのに従業員を雇ってはいけないことはわかりますが、クビを切られた人とその家庭は路頭に迷うことになります。

社宅などに入っていれば住処を引き払わなくなるでしょうからまさにホームレスとなる可能性がありますね。

仕事が無くてやむなく生活保護などを受けたとすればアパートも貸し渋りがありますから、収入が一旦途絶えるとなれば奈落の底に落ちる可能性まで。

 

そしてまた昨日は去年の出生率の発表がありました。

1.36人(東京は1.15)という数字は4年連続で前年を下回ったといいます。

死亡した人の数から産まれた子どもの数を差し引いた減少幅は12年連続で過去最大を更新したといいます。

「人口減少」については散々に言われ続けてきていますが「結果」というものを第一に考えればここでも「無策と無能」を思います。

 

さて本日も昨日の「十王仏」がある「福住矢田原線」(県道186号)から。

その十王仏からその県道を奈良方面に進むと左側の丘の上にカヤの大木が目に入ります。もっとも県道からはそれが何の木なのかはわかりませんが、近くに小さなお堂と墓石も見えます。

それが阿弥陀堂(場所はこちら)です。

 

私は大木というものに少々の憧れ的思いがあるのですが、それはかつて拙寺の当家墓石の真裏にあった松の大木の幼いころ見た印象が深く残っているからです。

こちら相良に来てからというもの時に大木系に育ちそうな木を植えています。

以前、「200万円で売ってくれ」と声をかけられたイヌマキの類は周囲に植わっていて本堂前には古い槙柏の大木がありますが、私はその対にメタセコイアを植え、本堂北側にはトウヒ、会館脇にはイチイを植えました。

玄関前にはスギがありますが年々大きくなっていることがわかります。

 

勿論、松もありますが彼らは寿命も短く(害虫による病気への脆弱性)、手入れが大変ですので小さく管理しています。

先日も記しましたが大桑の十五社神社の杉を記しましたが大木には威厳があるものです。

松のデリケートに対して杉の「1000年」を超えるような大木は圧巻ですが、その阿弥陀堂に立つカヤという木はイチイの種族となりますが、1000~1500年の寿命があると聞きます。

 

その阿弥陀堂のカヤがどの程度の間にこの街道の丘の上から往来の人々を眺めてきたかを想像すると無意味な発想ですが「どうにも私にはかなわない」という仏の存在もオーバーラップしてきます。

 

カヤの木のお出迎えがある阿弥陀堂ですが、中は見ることができませんでした。その裏側に小さな祠があって十王仏の隣に

祠の中と同様のように感じる石仏が。

如意輪観音と右手に金剛杵(こんごうしょ)を持った弘法大師らしき座像が。ベースの台座の部分が後補でしょうか「靴と瓶」の肉彫は見えませんでした。

十王仏の祠とは違うのは不動明王らしき石仏があること。

 

これら覆堂の石仏たちは同様に江戸期のものでしょうが、江戸時代になってその手の流行りがあったのでしょうね。

逆に風雨に露出している各石仏たちに室町期を推測できるものが溢れていました。

 

最後の画像は石仏のクビが切られている様子。

補修のあとが見られます。

こちらでも長い信仰の基盤に明治維新の短慮~廃仏毀釈~の嵐が吹き荒れたことを物語っています。

一旦切られたら元のようには戻れないものです。