福住浄土十王仏(+阿弥陀)とお隣の祠の石仏二体

昨日の東京は28人。神奈川が2人。

東京はあいかわらずの数字、その半数が経路不明とのこと。

 

さて、先日の境内にて立ち話。

某大手企業の人事関係の仕事をされている方ですが「100人弱の派遣労働者に辞めてもらった」といいます。

勿論今回のコロナ禍の影響をもろに受けたからですね。

会社全体なのか管理部署なのか分かりませんが、その驚くべき数字に唖然とさせられました。

 

「泣いて馬謖を斬る」の故事ではありませんが、相当な苦痛を伴なったようです。

恨みつらみの声も多く聞いたとも。

素材が入荷せずラインが止まったからには遊んでいる人材は不要ということ。その地位の脆弱な派遣社員は早々に切られてしまうというのは世間でもよく耳にしますがまさか、このような田舎町で大々的「派遣切り」の類が行われていたというその事実は日本全国レベルとなればいったいどんなことになるのか・・・などと「これから」のこの国が迎えるあり様について不安にさせられました。

 

ショックを受けつつ2点ほど質問させていただきました。

まずその中で外国人の受け入れについてですが、それはほんの数人程度とのことで殆どが日本人。

また、取り敢えずは「自宅待機」ということで事業が元に戻れば再びの雇用もあるのかを聞けば、「社内はフルオートメーション化を図っている」とのことでどうやら即再雇用というワケにはいかないようです。

 

工場が止まっているのに(生産性ゼロ・・・)従業員を留めて給金を支払っていたら会社は傾きますから致し方ないといえば致し方なし。しかしながら仕事を失ってしまった方がそれほどまでに国内に溢れかえったとしたら・・・一体この国はどうなるの?と単純な疑問が沸きあがります。

 

さて、私のドハマリ、南山城から奈良の石仏について記してきましたが(春先)、最近はずっと離れていましたのでこれまた唐突ですが戻ることにしました。

 

奈良天理福住の氷室神社周辺について記していましたがその続きです。

氷室神社の駐車場に車を置いて少々、奈良市街からも辿れる「福住矢田原線」(県道186号)を「泥かけ地蔵」( 阿弥陀+地蔵双仏 石龕仏)方向に戻るように歩けばスグ、右側に「七曲がり道ハイキングコース」の矢印と小さな字の手書き「十王仏」の掲示が目に入ります。

この矢印についてはこの県道の先の左方の道を言っていますので混乱する可能性がありますね(場所はこちら)。

 

その看板の真後ろにあるのが通称「浄土の十王仏」と呼ばれている花崗岩製の石仏です。この「浄土」とは字名ですね。

 

石質笠付きで上中下三段に上3中4下4の計11仏が半肉彫りされています。

11なのに十仏というのは上段中央が阿弥陀如来でその他十仏を言っています。

それらは笏を持って道服姿の十王が描かれていますが江戸中期のものといわれています。

 

そのお隣に祠がありますので失礼して御開帳。

二つの座像石仏とご対面とあいなりますが、やはりこちらも両方とも江戸期。左側が如意輪観音「安政六己未1859十月吉日 十九夜観世音」。

 

右側は弘法大師。右手に金剛杵(こんごうしょ 三鈷-さんこ)、台座に「靴と瓶」のスタイルは各踏襲か。

草鞋全盛の時代に「靴」とは・・・相当なセレブです。