波さんの遺した尊前打ち敷の材料の元の持ち主は広大院です。その遺物について当年2月末に専門家の招へいを頂ける旨、相良史料館の長谷川学芸員より知らされていました。
そして先日、学習院大学の田中潤先生をお寺にお連れいただきました。
この新型肺炎蔓延のご時節、新幹線等公共交通機関を利用しての遠路行程、本当に有難く思います。
基本的にあの裏書の存在により、「指標になりうる」ということでその遺物そのものの状態が良く一言で奇特なことであると。
着物ならではの素材の遺り難さもあるのでしょう、数多あっただろうこの手の代物がそうは現存していないということですね。
「数多ある」というのは将軍の正妻など1日に五回のお召し替えがあったとも(田中先生)。そこに側室がこぞって同じように着物を発注していたとしたら相当な量があの空間には咲き乱れていたはずですね。
私が「もし粗相でもして汚したら・・・」などと伺ったところ「まずはそれで着物としての用途はお終い」と。
下賜もされず端切れにされてしまうのでしょうね。
いわば使い捨てのようなものかも知れません。
庶民感覚を超絶超越した贅沢品でした。
明治維新を迎えて喰い扶持に困った武家階級からこの手の代物が質屋に持ち込まれて市中出回るようになるのですが、そのあたりから裏地を「解いて」何かに利用しようとし、あれらの文様柄の着物を「御所解」(ごしょどき)と呼ぶようなったそう。
「江戸城は御所ではない・・・」というご指摘があるでしょうがこれは明治になってのただの庶民の混同からですね。
よってわざわざ「江戸解」と呼び名に拘ることもあるようですが。
とにかく今回判明したことをさらっと記せば・・・
①打ち敷をほどいて着物の形に戻しあるいはキレイにクリーニ
ングし補修できるところは補修すべきか伺ったところ「何も
しない方がいい」
②保存は桐の箪笥でOKだが防虫剤は入れてはイケない
③防虫剤の成分が刺繍糸を溶かしてしまう
④折り目のところに力や圧をかからないよう 刺繍が剥がれる⑤刺繍糸は普通の糸より極細
⑥刺繍糸の剥がれて黒くなっている部分は鉄さびで染めた糸で
黒色を出す部分に使用した箇所(経年劣化)
⑦刺繍が無くなっている部分は銀糸を使用した箇所(経年劣化)
⑧この手のものを展示するには平置きしか考えられないがケー
スがない(長谷川氏)・・・畳二畳より一回り大きい
⑨展示公開すればするほど劣化する 出し入れと光による退色
ということで簡易安直なお寺での展示会は止めた方がイイというところに落ち着きました。
また私の意向ですができれば3日程度の展示会を相良史料館で行いたい旨長谷川氏と史跡研究会小澤氏に検討依頼しました。
何分おカネがかかることですからね。展示会のためにケースを新調して尚、そのあとケースをどこに置くか・・・困惑していました。
やり方としてはケースの新調はナシにして、全体図を撮影してから各部を張り合わせてコピーを作って張り合わせて吊るし、各部について着物のどちらの部分か、または刺繍の文様、図柄、技法などを解説いただくというのもアリかと。
その辺りはこれからですね。
将軍奥方の着物はやはりその人の趣味、リクエストに応じておそらく京都辺りの縮緬屋お抱えの職工の手で為されるのではないかと思われますが、先生が仰るには、着る者が好みで自ら刺繍を入れることもあるそうです。
それは後世の研究であまりにも素人っぽい刺繍が各散見されていてそのような習慣がわかるよう。
やはりお気に入りの品には愛着はあったようで、そういう品物を下賜したのでしょうね。
私の発想ですが、こういった着物の今でいうクリーニングはできないといいますので、それですと「DNA」が採取できて本人のものか血縁者のそれを比較すれば所有者の断定をすることも可能ではないかと思った次第です。
特にまた先生が「これもすばらしい」と仰ったあの違い鷹の羽紋(老中阿部正弘の家紋と同じと伝えました・・・)「地味な」裏地・・・についてです。
先生は「裏地」などとはとんでもないということで、たまたま葵紋(冬用縮緬-ちなみにもう一方が夏用と判明)の着物の裏に波さんたちが仕上げただけのことの様。
しかしなぜこの二つを合わせたのかも「何かの思いがあったか・・・」興味があるところと仰っていました。
この鷹の羽紋の紋様の生地は「鮫小紋」と呼んで当時の着物の柄としてはオーソドックスではありますが、格としては高くその趣向は大名家クラス、特に紀州徳川家が用い、また島津家の「定め小紋」だったといいます。
私はあの鷹の羽から勝手に阿部正弘と決めつけていましたが、紀州徳川にしろ広大院-近衛寔子(このえ ただこ)にしろ大いに関係ある環境ですので、なんとも言いようがなくなりました。
さて、「御所解」は前述の通り、明治になってからの呼び名ですが、江戸時代の武家特定階級の女子専。
その柄にはパターンが決まっていて、平安宮廷文学に能を出典とするストーリーをベースに鮮やかな刺繍を配して華々しく描く図柄です。
着物の色は勿論どちらの部分にその主たる「お話」の内容を表すポイントを配するかなど発注は着る者のリクエストもあったかと思われます。
そこでその柄は周囲の者への主張を発するのですが要は「教養」が無い者にはそれがわからないというワケですね。
まぁ知ってて当たり前。
知らない、わからないでは通用しない世界があそこでした。
以前ブログにて愛知川の石橋「不飲橋」「歌詰橋」について記しましたが「歌(返歌)に詰まるはバカ(田舎者)」の烙印が押されて嘲笑されることになりましたね。
よって着ている者はそこのところをアピールしていますので、周りの者はそこの意図を察してサラッと気の利いた誉め言葉を添えたのでしょう。
大奥女中の波さんも城中では相当勉強したことと思いますが、あの場所は少々嫌味のキツそうなところと推察します。
まぁ現代はブランドもので着飾って悦に入っている方もおられるかと思いますが私は当然に「そんなの知らねぇ」です。
また誰でも知ってる3本線「アディダス」趣向が強いだけですね。
着物は葵紋のある冬物が能の「石橋」(しゃっきょう)から、夏物が「御所車」でした。愛知川の石橋とはまったく関係ありません。「夏・冬」に関しても先生からの御指摘です。
①は田中先生に提供いただいた「きものサロン」。
ちょうど「御所解」について特集ページがありました。
それにしてもこの世界は奥が深い・・・
②掲載の東京家政大学博物学芸員の鈴木先生の解説文を拝借しました。
③は夏物紋ナシの「御所車」。右下の黒くなった部分が錆糸の部分か。
④冬物葵御紋のある「石橋」。石橋の上に獅子が躍動していますがそのパターンですね。「文殊師利」崇敬の目出度い絵柄。
石橋の左側の空白に銀糸の刺繍があったはず・・・と先生から御指摘。
⑤が鮫小紋ということで。初めて知った言葉でした。
→波さんまとめ。
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