慈心の欠落 文殊師利般涅槃経 雨中野良犬と五輪塔

先日逝去された御年九十三歳の善知識の方へその法名に「慧」の文字を入れさせていただきました。

この文字は「智慧」の「慧」からということは言うまでもありませんが「智慧」とは「物知り、知識とか利口、民度の高さ」のことをいう「知恵」とは違ってより高度でベストな仏的道理判断力のことをイメージします。

 

その智慧といえばやはり文殊菩薩がその代表ですね。

阿弥陀仏一向専念の坊主が「文殊菩薩?」とのご指摘を受けるかも知れませんので一応一言。

当方頻繁に読誦する極楽浄土の荘厳について語る阿弥陀経の冒頭に「文殊師利王子」が同座、登場していますね。

 

昨日は「他者への寛容さ」について日本の世界順位が九十位以下という数値に落ち込んでいる事を記しましたがこれは今の日本におけるすべてのネガティブ状況・・・人としての在り方・・・その歴史的劣化・変異・・・に日々触れている身としては大いに納得できると了解したところです。

 

ホントは私ども文化を育んできた仏教的思想の原点にたちかえるべきと声を挙げなくてはならないのですが一方この国は落ちるところまで落ちた方がイイ(というかどうなもならないところまで来ているという諦観)と思う面もあって何ともこの現状には歯がゆい思いがするばかりです。

自ら各ハードルを上げて何事にも勝手にもがき苦しんでいる日本人がいるわけですが・・・

 

以前寺に食べ物の提供を依頼する人が時々来られることを記しました。

突然来訪するその人にあたふたしながら品を搔き集めるやれやれ顔の奥方に対して私は「如来さんかも知れないよ」と言ったことがありますが、実はその手の「化身」の件、仏典にあります。

真宗の経典ではありませんが、それが「仏説文殊師利般涅槃経」です。

 

文殊師利王子(文殊菩薩)は自ら貧・窮、孤独・苦悩の民となり現世に現れる」ですね。

 

阿弥陀如来の化身でも別にかまわないのですが、「文殊菩薩の智慧」の作用を記しているのでしょう。

この仏典では他者を「救済する」それこそがすべてを「幸福にする」と言っているに違いないところです。

 

他者への思いやりであり配慮であり献身。

それが文殊経のすすめる「慈心」の養成です。

国連のその幸福度算出数値の多寡に影響を及ぼすその「他者への寛容さ」の低下こそ私たちの今の「慈心」の欠落なのでしょう。相手への思いやりについて「寄り添う」とはよく言われますがそれどころか文殊は「困窮する衆生として」・・・ですからね。

 

そしてまた「慈心」の発生により自らが「文殊」となるということですね。 

ということはその90位以下というのは明らかにこの日本に於ける仏教思想と仏教文化継承の衰退が顕著であると大騒ぎをしなくてはならないことかも知れません。

 

昨日記したあの地の「加茂青少年山の家」の稼働停止の件は残念でした。

あれだけの「日本人の心の故郷」を満喫できる環境にあってそれら「仏の智慧」の紹介とその心に誘導するという折角の装置が働いていないことはなんとも不幸な事です。

 

そちらから府道754号線に戻って「当尾」であまりにも著名な阿弥陀九体仏の浄瑠璃寺方向に進むと右側に古い墓地があります(場所はこちら)。西小(にしお)墓地と言うようです。

 

大振りの五輪塔が一対、あたかも「お迎え」されるような気がします。すると雨に濡れた痩せた野良犬が一匹現れました。

突然のことで驚きましたが私を威嚇する様子はなくむしろ怯えた様子でした。

 

柳生からこの辺りには春日山周辺から流れて野生化したのか本来の野生のものかはわかりませんが鹿を見ます。黒っぽい毛色の鹿にその日にも2頭遭遇していましたが、人っ子一人いない場所で動物とバッタリというのは身構えます。

 

私を見ての勝手に大慌ての挙動にこっちが逆に驚いてしまいます。まぁイノシシでなくて良かったというところですが。

ちなみに鹿は甲高い声で仲間に侵入者の存在を知らせます。

 

彼にはたまたま持っていた煎餅を置いていきましたが少々塩辛く余計なお世話だったかも。あまりに見すぼらしく彼の未来を案じてしまいましたがこれも逆に「お前もな・・・」とも感じるところ。

墓地には小さな物置があってそちらをねぐらにしていた可能性もありました。

静謐なひと時を邪魔してしまったのかも知れません。

考えてみれば純正の「野良犬」というのも珍しい遭遇でした。

 

その奥の藪の中にはこちらも今時滅多にお目に掛かれない土葬墓らしき墓地がありました。

雨天晴天かかわらずそちらを何気なしに歩くことは危険です。

下手をすれば踏み抜きますからね。

 

①画像が少々かわりだねの「文殊菩薩騎獅像」。文科相所有です。「獅子をのりもの」という形態を踏襲していますが獅子にはたて髪が描かれていずあたかも犬にまたがっているように見える文殊さんです。