キレイに整備された曳馬城 新造の家康・秀吉銅像

まるで隔離病棟の如くになってしまった「ダイヤモンド・プリンセス」、その船旅にたまたま乗り合わせてしまった乗客にはお気の毒としか言いようがありませんね。華々しいその名も、乗っている人からすれば「地獄の監獄」のイメージでしょう。

ウィルスに罹患していない健全な人であってもアレでは心身いずれか「どうかなる・・・」と思うところです。

 

毎度のヤレヤレですが、あの神奈川人にはお馴染みのシウマイ弁当の差し入れ4000食の件、「差し入れ」として船には積まれたようですが、乗客の口には届かず、廃棄処分にされていたとのこと。

ボランティア食品提供にはありがちなことといいますが、それにしても庶民感覚からして「勿体ない」。

 

配布の方法と人的確保が出来なかったのか、もたもたしているうちに賞味期限が切れてしまったのか知りませんが、「厚意は微塵も無駄にしてはならない」という気持ちが足りなかったような気がしますね。

厚意は往々にして無駄になるという大きな前例を提示してしまいました。

 

あと一つ、千葉在住都内勤務の20代男性の色々、聞けば「やはりね~」と「武漢しばり」の最悪の結果を納得。

概略記せばその人は2/2に37度台発熱があり、2/3日に38度、会社を休んでA病院。2/5にB病院、2/6にC病院。2/7に咳が出てC病院。2/10に再びC病院、そしてD病院。肺炎診断されて入院。2/13に陽性判明という流れ。症状が出現したのが2/2で判明したのが2/13と11日間もかかりました。判定を出すことができないから放置同然。

 

その間にどちらに行ってどれくらいの人たちとの接触があったのかわかりませんが、単純に思えば2/3のA病院でPCR検査が「念のため」と行えるシステムが整っていればその約10日間はもしかして無かったかもしれないと思うところです。

ウィルスの陽性はタイミングによって現れないこともあるようですので、重ねて検査をする必要がありますが、少なくとも「10日」というのは無かったでしょうね。

 

何より当人が一番苦しかったでしょうが、そのインターバルはその地域にリスクを提供してしまいました。

 

「満員電車シミュレーション」というものがあるそうです。

これはある時新型インフルエンザに感染したとして・・・その3日目に満員電車に乗ると・・・

4日目には30人にウィルスが届き、6日目には700人、そして10日目には何と12万人に・・・というものです。

「なんか やっちゃった」感ありますね。都内への通勤の方ですからこれからどうなるのでしょう。

 

こういったことが無いようにお国には対応して欲しいと思ったのですが、あの御身お愉しみ主眼の厚生労働省殿からはヤル気が感じられませんでした。

 

しかしその「10日目12万人」を各陽性判定の方に当てはめたとしたら・・・半信半疑ながら想像するのは恐ろしい。

田舎者の私もここなら大丈夫とは言っていられないようです。

これから日数を経てどうなっているのか・・・「爆発」が本当にあるのか・・・そのシミュレーションが「ただの推測値」であったことを望みます。

 

千葉の人は総武線通勤といいます。

私も大昔に半年ほど新小岩に住んでいましたが朝のラッシュ時間は「濃厚接触」のレベルを超えています。

専門家の中からは異口同音「フェイズが変わった」・・・「かなりヤバイ」という感じが伝わってきます。

ちなみに海外のメディアでは「世界の3分の2が感染する可能性」とまで。

 

これまで私どもはいろいろな畏れや脅威にそのデータ等示されながらただ口を開けて傍観していたのですが、それが「そこにある危機」であるのか、人類が試されているということなのでしょうか? 

WHOほか世界は日本の状況を固唾を飲んで見守っているはずです。いずれその評価がくだるでしょう。

今のところこの国は「最悪」の道を演出しているようですが・・・

もっと最悪・・・を推測して1か月くらい籠城できる食料品を買い込みにいくとしますか・・・

 

さて、先日周辺は誰もいない浜松城北の作佐山の谷の庭園の様子について記しましたが、曳馬城(またはこちら こちら こちら こちら)にもブラリと覗きに行ってきました。

というのも曳馬城の整備が進み、銅像まで建てられたということでその容姿を見ようというものです。

 

今は東照宮ということになりますが、まずその入り口がスッキリとキレイになっていました。

境内電柱は余計ですが、入り口の黄色い野暮な電柱ワイヤーの覆いは無くなっていました。

 

本命のその銅像とは家康と秀吉の二体になります。

その容貌はなかなかカッコイイ。

若き秀吉も躍動感があります。

 

こちら相良はじめ銅像建設のブームになっていますが、完成した銅像で一番に大切と思うのが「顔」ですね。

要はこの二つの像に変なこだわりが無いのです。

伝承絵像にこだわっての傾向というものがありますが、私はそこから離れて作者の気持ちをぶつけて欲しいと感じます。

作者「創作」あってヨシ。

当時描かれたであろう画家の真似というかそのイメージを踏襲する必要などまったくないと思います。

 

模写彫像はガッカリですし、作者の創作意欲も減衰させますね。

この家康の姿は素晴らしい。

駿府城の姿とはまったく異にしていますし時代は若き頭陀寺(またはこちら こちら)頃ではありますがこれまでの秀吉のイメージを一掃するものですね。