御正忌 毎年不闕に よろこびてもなほ 欣笑す

大きな法要も無事終了して嬉しく、またほっとしています。

たくさんの御門徒さんの支えがあって大切なお勤めを修することができました。

特に「これ、おかげさま」と一応の感動をさせられたのが手前味噌ながら息子が日中法要にて率先して動いてくれたこと。

彼の御文の拝読など初めて聞きましたのでそれ一層の事。

 

私が「御文は何を?」と聞けば毎年不闕(ふけつ)に」(三帖-十一)を指定してきました。

「え?」と思わず聞き返してしまいました。

内心、「聖人一流(五帖-十)」あたりだろうと思っていましたので。

ちなみにその「聖人一流」とは数ある御文の中で短くわかりやすくかつ御門徒さんにも馴染み深いものです。

 

一方「毎年不闕」の方といえばその4~5倍の長さ。

御正忌となればよく拝読されますが、難しい言葉も出てきて、結構に難解な御文です。それに何より蓮如さんが私の事を怒っているようで・・・

 

拙寺では初めて耳にする方たちが多かったかも知れません。

まぁ「感じだけでも・・・」ということで彼にまかせました。

私も外陣で頭を垂れてその拝読を聞いていて思わずニヤリとさせられましたがその御文の中のフレーズです。

「あまつさえ」など今風な使いまわしではない古風なところ。あの息子の口からそんな言葉が吐かれるなんて・・・と不思議な感覚におそわれました。

 

それにまたその語といえば大抵は「ピシッと」お説教をいただくようなシチュエーションですからね。

テーマとしては拝読のスピード。

もうちっとばかしゆっくりとお願いしたいですね。

 

とにもかくにも彼の成長とその尻腰を押していただいてお育ていただいたお寺のご住職、関係者の皆様に感謝せずにはいられません。 南無阿弥陀仏 合掌。

 

それではそのなが~い御文、「毎年不闕に」の全文を。

 

「そもそも、今月二十八日は開山聖人御正忌として、毎年不闕にかの知恩報徳の御仏事においては、あらゆる国郡そのほかいかなる卑劣の輩までも、その御恩をしらざるものはまことに木石にことならんものか。

これについて愚老、この四五箇年のあひだは、なにとなく北陸の山海のかたほとりに居住すといへども、はからざるにいまに存命せしめ、この当国にこえ、はじめて今年、聖人御正忌の報恩講にあひたてまつる条、まことにもつて不可思議の宿縁、よろこびてもなほよろこぶべきものか。

しかれば自国他国より来集の諸人において、まづ開山聖人の定めおかれし御掟のむねをよく存知すべし。

 

その御ことばにいはく、「たとひ牛盗人とはよばるとも、仏法者・後世者とみゆるやうに振舞ふべからず。また外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし、内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」よしを、ねんごろに仰せ定めおかれしところに、近代このごろの人の仏法知り顔の体たらくをみおよぶに、外相には仏法を信ずるよしをひとにみえて、内心にはさらにもつて当流安心の一途を決定せしめたる分なくして、あまつさへ相伝もせざる聖教をわが身の字ちからをもつてこれをよみて、しらぬえせ法門をいひて、自他の門徒中を経回して虚言をかまへ、結句本寺よりの成敗と号して人をたぶろかし、物をとりて当流の一義をけがす条、真実真実あさましき次第にあらずや。

 

これによりて、今月二十八日の御正忌七日の報恩講中において、わろき心中のとほりを改悔懺悔して、おのおの正義におもむかずは、たとひこの七日の報恩講中において、足手をはこび、人まねばかりに報恩謝徳のためと号すとも、さらにもつてなにの所詮もあるべからざるものなり。

されば弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにおいてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんどとも申すことはあるべけれ。

 

この道理をよくよくこころえて足手をもはこび、聖人をもおもんじたてまつらん人こそ、真実に冥慮にもあひかなひ、また別しては、当月御正忌の報恩謝徳の懇志にもふかくあひそなはりつべきものなり。

            あなかしこ、あなかしこ。」  

[文明七年十一月二十一日これを書く]

 

お話しは「欲宣法 現欣笑」でした。

 

夜はテレビ小僧に復帰。

NHKダビンチ・ミステリー。「糸巻の聖母」ほかパーフェクトで深すぎる芸術の解析とその手法を凝視。

その前の時間は再放送ながらEテレ日曜美術館の「正倉院展」。

強烈なる入館前の画像が放映されていましたが、私が行った東京国立のそれも酷い行列でした。

 

どちらでも驚かされますが、中国からのお客さんたちがこういった場所にも訪れるようになった・・・ということ。

ぼーっとしている私など嫌というほどadidasを踏みつけられてしまいました。

また若い人も多数見受けられました。これは悪くない傾向ですね。

展示されている蘭奢待の前はことに人だかり。前にいたお嬢さん二人組が、「明治天皇、取り過ぎ・・・」と。率直なご意見でした。

三か所の切り取り痕に付箋が貼り付けられていて、足利義政・織田信長そして明治天皇の名が記されています。

 

②図はぐるっと回って私の前に「300人は・・・」の図です。

開館30分前にチケット売り場に到着しましたがため息が出ました。前売りの購入はしていませんでした。

入館開始後しばらく進んで後ろを見れば・・・「2000人は」いたかも。それマジ、マジ・・・。

皆さん行列が苦ではないのでしょうかね。

毎度おそれいります。そういう私もか・・・

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 11 11月 2019 09:07)

    東京の正倉院展での「国家珍宝帳」は見たかったですね。奈良の展覧会は午後の方が空いていました。とは言っても30分待ちでした。今回初めて台湾人のツァーを見ました。ガイドが一生懸命説明をして、皆さん良く聞いていました。いいことだと思いますが団体での観覧はドッと押し寄せるイメージがあり、団体の前か後ろでないとゆっくり見れないと言うことが起きます。団体で来ても個人として観覧し、説明はガイドからではなく、イヤホンからにして欲しいですね。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 11 11月 2019 18:48)

    ありがとうございます。
    「国家珍宝帳」はさらっと見ました。
    あまりにもキレイすぎてまたわかりやすい・・・ただしお客の反応はといえばただそろそろと歩きながら・・・の感じ。ケースの中のテーブルにズラっと広げられてピックアップされたその記述品が上部の壁に展示されているといスタイルでした。
    中国系の団体客を引率解説している一団はありました。
    どちらにしろあのごちゃごちゃの中に長居することはできず早々に退散しましたが。
    人気の展示物の前などは「足を止めずに進め」と係員に促されますし。
    何でここに来たんだ・・・と終いには後悔しだす始末。