数奇な運命 稀なる存在 「糸巻きの聖母」

最近はずっぼりと地元遠州にハマりっきりで外(遠江以外)へ出向いていません。京都方面もそうですが特に東京への行脚が滅法少なくなりました。

向かうとすれば渋滞を避けるために「日曜祭日」限定のスケジュールとなりますが、それがなかなか法務と重なってうまく動くことができません。

小田原のすずさん(祖母)等の墓参りにも行くこができずもやもや感があります。

 

昨日の箱根は季節外れの大雪になりました。雨天強行はほとんどまず行いませんが、あの異常な渋滞(チェーン規制が出てもどの車もチェーンを持っていない)にハマりたくはないですね。

 

せっかく日曜日が直前まで空いていると喜んでいれば、たまたま雲行きが怪しくなって結果諦めることが多かったというのが「今のところ」でした。

 

現在、神奈川・東京方面には行きたいところが山ほどあって、「墓道氏」のいる横浜に宿泊してそちらをベースにしたいくらいです。また東京とはいわず関東地方に散在する私が興味のある場所をあげていたらキリがないくらいですからね。

 

また期間限定の催し物はやっかいですね。墓場ならいつ行ってもお待ちいただいていますので問題ナシなのですが・・・。

 

今、「見てみたい!!」と思っているのが江戸東京博物館の企画もの「レオナルド・ダ・ヴィンチ−天才の挑戦」です。

イタリアに行かなくてもお会いできる「門外不出」本邦初公開の「糸巻きの聖母」なるダ・ヴィンチの絵画との対面を所望しています。「数奇な運命」という形容がされていますがこれはイタリアのフィレンツェからフランス、そしてイギリスの貴族へ渡ったのち、2003年に盗難に遭って不明期間4年ののち発見という経緯があるからです。

 

期限4月10日(日曜)までで、私の訪問は時間的にかなり怪しくなっていることは事実です。

美術館で鳴り物入りの品物の展示は「土日祭日」の混雑は当たり前のことですので、行程の混雑か館内の混雑かという選択も肝心なところです。私は3月27日以外の日曜日はすべて予定が入っています。平日勝負になるか諦めるか・・・

 

そして3月27日は私が半年以上前から「ここだけは・・・」と死守していた「高天神祭り」なのです。天候にもよりますが・・・雨が降れば当然に火縄銃が撃てません。あの腹に響く大音量を2年ぶりに味わいたいと思っています。

 

以前NHKでこの絵の紹介番組が放映されていました。イエスの握る糸巻き棒をその後彼が架けられる十字架を示唆しているという説があるようですが、「糸巻き」にはもともと「人の運命を紡ぐ」という意が含まれていると。

 

ギリシャ神話からですが日本でも時として若者などが「運命の女神さま」などと発しますがまさにそれ。

女神の名を記せば「モイラ」でその「運命の糸」への作用する女神は3人(3姉妹)いるので複数形の「モイライ」と呼ばれるそうです。

 

その語「モイラ」はそもそも「割り当てる」の意。

人それぞれに与えられる「寿命」を示しているようです。

そして女神3姉妹の仕事といえば

①人の寿命の長さを決め

②紡いでカタチを作り

③元糸をハサミで断ち切る

そうです。

 

「勝利の女神」という言葉も日本ではお馴染みの語になっている「女神」の語。

ギリシャ神話でゼウスと死闘を繰り広げた今の日本語の台風「typhoon」の語源となったといわれる「ティフォン」(テューポーン)が彼女らから「あらゆる願いが叶う勝利の果実」をゲットします。

ところがどっこい彼女たちが渡したものは「無常の果実」であってそれを食した途端にティフォンは力を失ったといいます。

「勝利の女神」の招来・・・実は「無常の女神」だったなんて・・・なるほど、よく見聞する事象でもありました。

 

私のこじつけの如くで恐縮ですが、すべてが仏教に通じているかとも感じます。

割り当てられる命の長さ(寿命)は人それぞれ違うものなれど生まれた時にすでに決まっていてその与えられた命を一所懸命に紡いでいく。

ブログ既出ですが、経典の「お経」は「経糸」のことでした。

また、特に仏教では四苦八苦等「生老病死」の「無常観」についてはことに強く説きますからね(浄土系 善導「無常偈」)。

寿命が決まっている私たちが寿命の無い阿弥陀仏(無量寿)に救われるところも・・・。

 

ハサミでブチッとやられるという件に関しては、違和感がありますが・・・経糸(仏教)ならぬ糸巻き棒が心棒の如く直立し、イエスがそれを持つ左手の人差し指が天(極楽浄土)を指しているように見えます。

勿論「直立した1本」こそ「人の生き方」「懸命さ」を示唆しているようにも。

この画像(著作権利無し-パブリックドメイン)を眺めているだけで満足してしまった私があります。